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福岡の旅と歴史
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柳川城跡
やながわじょうせき
福岡県柳川市本城町


 柳川城は柳川藩主・立花氏10万9600石の居城でした。高い石垣と5層の天守閣を誇りましたが明治5年(1872)に焼失しました。石垣も明治7年(1874)の大風により海岸堤防決壊の際の補強に使ったためわずかしか残っていません。城跡は柳城中学校の校庭の一角の小高い丘とわずかな石垣の一部を残すのみです。
 柳川城は永禄年中(1558-1569)、蒲池鑑盛(あきもり)によって本格的な城としてなりました。天正8年(1580)、龍造寺による数ヶ月に及ぶ攻撃に耐えましたが、謀略により翌年、応永以来の蒲池一族は滅亡しました。
 天正15年(1587)、立花宗茂が豊臣秀吉の九州平定に際して、その功により城主になりました。関ヶ原役後、田中吉政が入封しましたが元和6年(1620)、吉政の子忠政に後継なく断絶。再び立花宗茂が治めることになり、以来明治維新を迎えるまで250年間立花藩の居城になりました。


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