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鹿児島の旅と歴史
鹿児島の旅        奄美市笠利町

あやまる岬
あやまるみさき
鹿児島県奄美市笠利町須野


 奄美の乙女達は正月になると赤、青、黄のいろとりどの糸で刺繍したきれいな手鞠で手鞠歌をを唄いながら手鞠つきをしたそうです。
 この岬の一帯のなだらかな地形が「アヤに織られた手鞠」によく似ていたことからいつの頃からか「アヤマル」と呼ばれるようになったそうです。
 岬に説明板には「由来は、あやに織りなした鞠の如く美しい岬というところからつけられた」同様な事が書かれていましたが別の意見もあるようです。
  「あや」というのはぼんやりと見えにくいことを指していて、転じて「山の一番遠いところ、はるかに高い所」の意味になるそうです。
  「まる」とは「まり」が変化したものだといいます。「まり」お尻のこと指します。つまり、あやまる岬から内陸に見える山の向こう側からの名称として遠くの山のその端(尻)にある岬からあやまる岬になったというのです。
 いずれにしても素晴らしい眺望です。奄美十景のひとつ、あやまる岬の展望台です。太平洋が一望できるのです。
  岬に立つと眼下には白い砂浜と遠浅のサンゴ礁の海が広がっていて雄大な景色に見とれてしまいます。
 天気がよければ奄美大島北端の笠利崎や隣の喜界島まで見渡せます。このあやまる岬のサンゴ礁海岸はリアス海岸の大島海峡一帯と湯湾岳付近の山地とともに、昭和49年(1974)奄美群島国定公園に指定されています。
 丘の裾野のアダンやソテツの群生も見事です。ここは岬というより公園という感じです。高台の公園と下の公園と2つの大規模な公園です。

 奄美群島においては、それぞれの集落を「シマ」と呼び、同じ集落の人を指して「同じシマの者」というそうです。
 集落が違えば、余所のシマの人という意味で「ヨソジマの者(人)」というそうです。
 奄美群島に住んでいる人や出身者の人に対しては「シマッチュ(島の衆)」と呼びます。それ以外の人は「ヤマトンチュ(大和の衆)」と呼ぶそうです。


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