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鹿児島の旅と歴史
鹿児島の旅        奄美市名瀬

おがみ山公園
おがみやまこうえん
鹿児島県奄美市名瀬永田町大字金久字永田字上の岸字配田


 「おがみ山」は、古くから名瀬市の生活の山であり、信仰の対象にもなっている山です。御神山か拝山かと諸説ありますが神の山として崇拝されています。
 標高236mの展望台から市街地や名瀬港が眼下に一望できます。園内にはヒカゲヘゴやアダンなどの亜熱帯植物が自生し、市内とは思えないほどの原生林が広がっています。
 復帰広場は昭和28年(1953)に奄美群島が本土に復帰した記念に造られたものだそうです。日本復帰運動の悲願達成のため全力を尽くし断食運動などで抗議した泉芳朗氏の胸像と「断食悲願」という詩が碑文となって残っています。
 終戦後、奄美群島は日本から切り離され、アメリカの軍政下におかれました。8年後の昭和28年(1953)12月25日、奄美群島全体の悲願であった日本復帰はようやくかなったのでした。
 わたしはただ一介痩身の無名詩人
 樹間に湧く無量の感に涙しぼり
 地に満つる落葉や雑草にも

泉芳朗詩 碑文
 無情の声を呑み
 天かける白雲に
 うたた民族流離の歌をきく
 よしや骨肉ここに枯れ果つるとも
 八月の太陽は
 燐として今天上にある
 されば膝を曲げ頭を垂れて
 奮然五体の祈りをこめよう
 祖国帰心
 五臓六腑の矢を放とう
   昭和26年8月(断食悲願の詩より)
 山道の途中には横綱朝潮昇進記念碑がありました。徳之島町出身の第46代横綱「朝潮太郎関」横綱昇進を祝った記念碑です。


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