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鹿児島の旅
奄美大島・龍郷町
西郷南洲謫居跡
さいごうなんしゅうたっきょあと
鹿児島県大島郡龍郷町龍郷166
安政6年(1859)西郷隆盛(号は南洲)が薩摩藩の怒りをかって流された場所です。召還命令が下るまでの3年間この家で暮らしました。島の名家であった龍家の娘・愛加那(あいかな)という娘と結ばれ、2人の子ももうけました。
井伊直弼の強引で横暴な政治方針に対抗するため島津斉彬は兵を率いて京都に入り、京都朝廷より幕政改革の勅許を受け、強大な兵力を背景に、井伊大老を中心とする幕府に対し改革を迫ろうとしました。
西郷隆盛は斉彬の命を受け、その前準備のために、京都に先発しました。安政5年(1858)7月16日、朝廷方面の下工作を手がけている時、斉彬が急逝してしまったのです。
井伊大老は「安政の大獄」といわれる幕府に批判的な者を一斉に捕縛し処刑し始めたのです。薩摩藩と京都朝廷との橋渡し役を務めていた月照も追われました。西郷は月照を薩摩藩内に匿おうとしましたが藩政府の方針は一変していました。
復元された西郷が設計した木造家屋です。
藩政府は西郷に、月照を国外に追放するように命じました。安政5年(1858)11月16日、絶望した西郷と月照は冷たい鹿児島錦江湾の海に身を投じたのでした。西郷吉之助30歳のことでした。そして西郷だけが助かったのです。
自筆の書、枕などとともに公開されています。
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