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鹿児島の旅と歴史
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桜島と鹿児島
さくらじま


 「我が胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙は薄し 桜島山」幕末の志士で筑前福岡藩士の平野国臣(ひらのくにおみ)がこう詠んでいます。
 蔓延元年(1860)10月、平野は同志有馬新七の協力を得て藩主島津久光に倒幕を勧めようと薩摩入りし伊集院に滞在しました。願いは叶わず涙をのんで伊集院を去ろうとするとき、この歌を詠んだそうです。
 錦江湾の船の中で平野が笛を奏でていた時、西郷と月照の二人は一緒に寒中の海に身を投げました。後に平野は新選組に追われながら生野の変を起こしました。結局捕えられ六角牢獄に入れられてしまいました。
 元治元年(1864)7月20日禁門の変で起きた火災が六角牢獄に迫りました。入牢者の逃亡を恐れた幕府役人により平野国臣は古高俊太郎、長尾郁三郎ら30名あまりの志士とともに斬首されてしまったのです。
 鹿児島出身の歴史作家・海音寺潮五郎も

  「我が前に 桜島あり 西郷も 大久保も見し 火を噴く山ぞ」

 と詠んでいます。
 鹿児島というと火を噴く桜島と明治維新の英雄・西郷と大久保を想像します。薩摩隼人に代表される質実剛健、勇猛果敢な気風に満ちたイメージが強いところです。
 古くは桜島のことを鹿児島と呼んでいたといわれています。「カゴ」とは朝鮮語では鉱山のことを指していたようです。鹿児島は古来より鉱物資源の豊富な場所だったのでこのように呼ばれるようになったものと考えられます。

 天文館は薩摩藩第25代藩主・島津重豪(しまづしげひで)が、天文観測や暦を研究するために創設した明時館(めいじかん)という建物がこの付近にあり、別名「天文館」と呼ばれたことから名付けられたそうです。映画館や飲食店等が立ち並び、鹿児島一番の繁華街です。
天文館

 天孫光臨の地は宮崎県の臼杵高千穂ではなく鹿児島の霧島高千穂であると神話をめぐる本家争いも続けられているそうです。


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