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鹿児島の旅と歴史
鹿児島の旅        鹿児島市

仙巌園
せんがんえん
鹿児島市吉野町9700ー1


 仙巌園は鹿児島市の北方にある第19代藩主・島津光久の別邸跡です。それ以後歴代島津藩主の別邸となりました。ダイナミックな進取の気風に富んだ自然を生かした屈指の名園です。磯庭園・磯の島津邸とも呼ばれています。
 磯庭園は、目の前に広がる錦江湾の海を「池」に、そして大きくそびえ立つ桜島を「築山」に見立てている雄大な借景庭園です。
 総面積4万9500平方mの庭園には島津公が趣向を凝らした庭園美や御殿など往時の栄華をほうふつとさせる庭園です。
 「仙巌園」とは、中国龍虎山の仙巌にちなんで名付けられているそうです。
 庭園の裏山には孟宗竹が広がっています。孟宗竹は江南竹といわれ、元文元年(1736)に中国から移植されたそうです。日本各地の孟宗竹は、ここ磯庭園から移植されたものだそうです。

ヤクタネゴヨウ
 御殿の前の松は、ヤクタネゴヨウといい樹高約28m、直径約1.5mの巨木で仙巌園のシンボル的な存在です。ヤクタネゴヨウとは「屋久・種子・五葉」の意味で屋久島と種子島のみに自生する五葉松の一種です。

反射炉跡
 反射炉は鉄製砲を鋳造するための溶解炉です。他藩でも数多くの反射炉が作られましたが、使い物にならなかったようです。薩摩藩の2号炉の反射炉は非常にハイレベルなもので、鉄製砲の鋳造に成功したそうです。

砲台
 第28代島津斉彬(なりあきら)(1809-1858)は諸外国と対等に接するには同じ軍事力を持つことが必要だと考えました。集成館事業の中でも造砲事業は中心的な物になりました。

正門
  明治28年(1895)に作られた仙巌園の正門です。明治4年(1871)、廃藩置県が行なわれ最後の藩主島津忠義夫人達は鶴丸城からここ磯に居住しました。
 明治21年(1888)には忠義本人もここに移り大工大重伊三次に建てさせました。 島津家の家紋、丸十と五七の桐の紋章が彫り込まれています。

錫門
すずもん
 錫門はかって薩摩藩の特産品であった錫を屋根に使った朱漆の綺麗な門です。錫瓦葺きの建造物としては我が国唯一のもので嘉永元年(1848)までは仙巌園の正門だったそうです。

獅子乗大石戸燈篭
ししのりおおいしどうろう
 大きく口を開けた獅子は飛び獅子といわれます。明治17年(1884)、29代島津忠義がお庭方小田喜三次に造らせたそうです。
 獅子と火袋石は花倉御仮谷跡のものを使い、笠石は磯海岸の防波堤に使われていた物をもってきたそうです。畳八畳分もある大きな石です。

御殿
ごてん
 磯の御殿は万治元年(1658)、19代島津光久が御仮谷を建てたのが始まりとされているそうです。その後、屋敷の南側に一亭を構えました。
 落日の日に鶴が亭前に舞い降りたことから「喜鶴亭」と名付けられたそうです。以後この御殿は島津家の別邸として使用されてきました。
 明治4年(1871)、廃藩置県が行なわれ島津忠義夫人達は鶴丸城が島津家の手を離れたためここ磯が生活の場となりました。
 明治17年(1884)、磯の御殿は大規模な改築を行ないました。明治21年(1888)には島津忠義がこの御殿に住み一時、本邸としても使用されたそうです。
 現存する建物は明治17年(1884)当時の半分の規模ですが全部で25もの部屋があります。庭園に面した部分には謁見の間、寝室、居間など8部屋の構成になっています。

望嶽楼
ぼうがくろう
 望嶽楼は19代島津光久の時代に琉球国王から贈られたと伝えられています。中国風の建物で藩主が琉球使節と面接するときに使用されたそうです。
 この建物の最も特徴のある部分は床だそうです。中国清朝初期に阿房宮の床瓦を模造したと伝えられるられる「セン」が273枚敷きつめてあるそうです。
 望嶽楼の額は中国東晋時代の書道家王義之の書を彫ったそうです。

曲水の庭
きょくすいのにわ
 背後の磯山から流れ下る保津川の谷には孟宗竹が生い茂っています。昭和34年(1959)、ここで曲水の庭が発掘されました。曲水の庭は古代中国で発達した庭園で我が国でも曲水の宴が盛んに催されたそうです。
 曲水の宴とは曲がりくねった流れに沿って所々に席を作り、上流から流した酒盃が前を流れすぎないうちに詩歌を作り、盃を取り上げて酒を飲むという宴です。

千尋巌
せんじんがん
 11mもの巨大な岩石に「千尋巌」という文字が刻み込まれています。延べ人数4千名を3ヶ月かけて完成させたそうです。

水天渕発電所記念碑
 明治40年(1907)、島津家が経営していた山ヶ野金山(やまがのきんざん)に電力を供給するため姶良郡隼人町に建てられた水天渕(すいてんぶち)発電所です。

発電用ダム跡
 29代島津忠義が建設した工場、「就成所」の送電発電用貯水槽跡です。落差を利用して水車を回転させて電力を得る仕組みになっています。

茶室
 園内には「秀成荘」と「徒然庵」という茶室があります。昭和62年(1987)に建てられた新しい建物です。

鶴燈籠
つるどうろう
 この石灯籠は日本で初めてガス灯を灯した燈籠です。28代島津斉彬は蘭学者らにガス灯の用法を書いた蘭書を翻訳させ、安政4年(1857)、石灯籠に点火させました。


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