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鹿児島の旅と歴史
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鶴丸城址
つるまるじょうし
鹿児島県鹿児島市城山町7


 城山の山麓に鶴丸城跡があります。城館は何も残っていません。慶長7年(1602)に18代島津家久が着工し、29代忠義まで薩摩藩島津家の居城となっていました。
  鶴丸の名前は城構えが翼を広げた鶴の形に似ていたために名付けられたようです。鶴丸城の楼閣は明治6年(1873)の火災で焼失してしまいました。
 この城は、近世一般の城郭に見られるような戦闘に備えた高い石垣の上に天守閣がある堅固な防備の城郭とは異なり、南国の雄島津氏にしては質素な天守閣のない屋形造りの居館であったようです。
 「城をもって守りとせず、人をもって守りとなす」という兵学精神に基づいて築城されたようです。また関ヶ原の戦いでは家久の兄17代義弘が西軍についたため家康への恭順を示すためでもあったようです。


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