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大分の旅と歴史
大分の旅        中津市

中津城
なかつじょう
大分県中津市二ノ丁本丸
Tel 0979-22-3651


 中津城は天正16年(1588)、黒田孝高(如水)によって築城着手されました。堀には海水が引き込まれているため、水城とされ、今治城、高松城とともに日本三大水城の一つに数え上げられています。
 慶長5年(1600)、黒田孝高は関ヶ原の戦いの戦功により筑前52万石に移封、細川忠興が豊前国と豊後国2郡39万石で入封し、城の大修築を開始しました。
 慶長7年(1602)、忠興は本拠を小倉に移し小倉城築城に着手、嫡男の忠利に家督を継がせて治めさせました。元和7年(1621)隠居の場所とした中津城を扇形の縄張りに拡張し、中津城を完成させました。
 寛永9年(1632) 細川家は熊本に転封し、小笠原長次が8万石で入封し中津藩ができました。以後、中津城は中津藩の政庁となり藩主の居城となりました。享保2年(1717)奥平昌成が10万石で入封し、明治維新まで奥平家の居城となりました。
 昭和39年(1964)、奥平昌信らが小倉城復興天守や名古屋城外観復元天守を手掛けた東京工業大学の藤岡通夫博士に依頼して萩城天守に似た鉄筋コンクリートの模擬天守を建造しました。現在は奥平家子孫によって中津城が売りに出される事態になっています。


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