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大分の旅と歴史
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大分県キリシタン殉教記念公園
おおいたけんきりしたんじゅんきょうこうえん
大分県大分市葛木


 大分県キリシタン殉教記念公園は昭和35年(1960)、キリスト教徒であった当時の大分市長上田保が中心となり、九重町の篤志家の寄付によって造られました。
 慶長17年(1612)に幕府直轄領にキリシタン禁教令が出され、翌年に全国に拡大されました。安土桃山時代、領主であった大友義鎮(宗麟)らのキリスト教への改宗により大分はキリシタンの中心地でひとつで最盛期には1万人を超えるキリシタンがいたそうです。ここでも厳しい取締りが行なわれました。
 キリシタン殉教記念公園がある葛木は獄門原と呼ばれ、約200人の最も多くの殉教者を出したとこです。公園内には、北村西望によるキリシタン殉教の地の碑が建てられています。


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