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北海道・渡島の旅    松前郡松前町

松前城
まつまえじょう
北海道松前郡松前町松城144
Tel 0139-42-2216


 蛎崎(かきざき)慶広が文禄2年(1593)豊臣秀吉より蝦夷島主と認められる朱印状を受けました。秀吉の死後、徳川家康に臣従して姓を松前と改めました。慶長4年(1599)のことでした。
 慶長11年(1606)松前城の前身となる福山館を築城しました。松前藩の石高は1万石に過ぎませんでしたが、ニシンや昆布、鮭などの海産物の専売やアイヌとの交易で20万石に匹敵する裕福さでした。
 松前城は福山城ともいわれ、福山の大地に築かれた平山城です。ロシア船が出没しはじめた幕末、徳川幕府は松前崇広に築城を命じ、6年の年月をかけ安政元年(1854)完成させた日本で最後の城なのです。
 明治元年(1868)に榎本武揚、土方歳三らが率いる旧徳川幕府軍の手によって落城しましたが、明治2年(1869)に官軍が奪取に成功しました。
 明治8年(1875)天守、本丸御門、本丸東壁などを残して取り壊されました。その天守も昭和24年(1949)の火災により本丸御門以外の建物は焼失してしまいました。
 復元された天守は鉄筋3階建ての建物で、内部は民俗資料館となっています。現在は公園として整備されていて、7000本の桜が咲く名所となっています。
 旧福山城本丸表御殿玄関です。福山城表御殿の唯一の遺構となっており、北海道の有形文化財に指定されています。また本丸御門は国の重要文化財に指定されています。
旧福山城表御殿玄関



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