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千葉の旅と歴史
千葉の旅      館山市

館山城址(城山公園)
たてやまじょうし(しろやまこうえん)
千葉県館山市館山351−2
Tel 0470-23-5212


 里見氏の居城・館山城址は城山公園となり、花の公園として親しまれています。約280本の梅、1400本の椿、約600本の桜、約1万本のツツジが植栽され、館山市立博物館や日本庭園などがあります。
 里見氏は清和源氏新田氏の末流といわれ、新田義重の子・義俊が上野国(群馬県)碓井郡里見郡で里見氏を称したのが始まりです。里見家基のとき常陸国(茨城県)小原に移り、関東公方足利持氏に仕えましたが、永享12年(1440)の結城合戦で戦死します。
 その子・義美は相模国(神奈川県)三浦に逃れ、やがて三浦氏の援助により安房白浜に上陸すると安房一国を平定し領土にしました。上総、下総にも勢力を伸ばし、6代目里見義尭(よしたか)の時は57万石を領し、隆盛をきわめました。
 天文7年(1538)、里見義尭は小田原の北条氏康に敗れ、里見氏7代義弘も永禄7年(1564)、北条氏康・氏政父子と再び国府台で戦って敗れました。しかし同年、北条氏は豊臣秀吉によって滅亡しました。里見義康は小田原への遅参を咎められ、秀吉によってその領地は安房一国9万2千石に減封されてしまいました。
 慶長5年(1600)の関ヶ原の役では徳川秀忠に従い3万石の加増となり、里見氏10代忠義も当初は徳川幕府に重んじられました。慶長19年(1614)、妻の祖父である小田原城主・大久保忠隣の改易に連座して、伯耆(鳥取県)倉吉3万石に減封され、館山城は破却されてしまいました。


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