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群馬の旅と歴史
群馬の旅      太田市

長楽寺
ちょうらくじ
群馬県太田市(旧尾島町)世良田3119−1
Tel 0276-52-2045


 長楽寺の開基は新田義重の子である新田義季(よしすえ)です。のちに徳川義季と徳川姓を名乗った人物です。臨済宗の祖である栄西の高弟釈円房栄朝を開山として承久3年(1221)に創建されました。東日本で最初の禅寺です。
長楽寺三仏堂
 東国の禅文化発祥の寺として創建当時は500人を超える僧が修行に励んでいたそうです。入宋した僧も多く、日本仏教史に多大な影響を与えたようです。

  慶長8年(1603)征夷大将軍となった家康は、祖先の建立した寺として長楽寺に寺領を寄進しました。天海僧正を住職に任じて寺の復興にあたらせたのです。臨済宗から天台宗の寺にして荒廃した堂塔を修理しました。そして末寺七百余ヶ寺を擁する大寺院となったのです。
開山堂
 元和2年(1616)家康は駿府で75年の生涯を閉じました。遺体は一旦久能山に葬られ、翌年日光に改葬されました。20年後、3代将軍家光により日光の東照宮が完成しました。
新田家累代墓
 天海は日光東照宮の輪王寺の住職も兼ねていたことから寛永17年(1640)日光東照宮の旧宮を境内に移築して東照宮を勧請したのでした。寛永21年(1644)遷座式が行われましたが天海は前年に没したため立ち会えなかったそうです。
徳川義孝墓所
 長楽寺には国の重要文化財に指定されている宝塔があります。ここは長楽寺の開基の徳川義孝をはじめとする徳川氏累代の墓所です。前方後円墳の後円部にあたり古くから文珠山と呼ばれていたそうです。
 この宝塔は凝灰岩製で相輪は失われていますが現存部の高さ1m65cmです。屋蓋、軒口の切り方、軒反りなどに鎌倉時代の特色を出している優美な石造宝塔です。
 新田公並一族従臣忠霊供養塔です。
 昭和16年に世良田の有志の建立です。
 蓮池は承久3年(1221)長楽寺創建当時の遺構を残しています。別名「心字池」ともいわれ心の字をかたどって造られています。
長楽寺蓮池
 蓮池の中央にかかる弧状の橋は渡月橋と呼ばれています。後鳥羽上皇より下賜された五面の勅願の中に出てきます。元は木の橋でしたが寛政8年(1796)石の橋になりました。
長楽寺渡月橋


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