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群馬の旅と歴史
群馬の旅      高崎市

箕輪城跡
みのわじょうせき
群馬県高崎市箕郷町西明屋・東明屋


 箕輪城は、西は榛名白川の断崖に臨み、南は榛名沼、東と北は水堀を廻らしている平山城です。標高270mの地に東西約500m、南北約1100m、面積約47ヘクタールにおよぶ広大な城でした。
 箕輪城は明応・永正年間(1492-1521)に長野業尚によって築かれ、子の信業により強化され、4代にわたり長野氏の本拠地となりました。信業の子・業正は、上杉氏の後ろ盾で、箕輪衆とともに武田信玄の攻撃をかわし繁栄させました。
  業正の死後、子の業盛は西上野へ侵攻してきた信玄により、永禄9年(1566)総攻撃され、遂に落城し自刃して果てました。その後は武田の上野の拠点となりましたが、武田氏が滅亡すると滝川一益が在城、信長の死後は北条氏邦が入りました。
 天正18年(1590)、徳川家康の関東移封で、箕輪城は12万石をもって井伊直政に与えられました。直政は慶長3年(1598)に高崎城に移封し、それに伴い箕輪城は廃城となりました。昭和62年(1987)に国指定史跡となり、平成17年(2005)に日本百名城に選定されています。


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