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茨城の旅と歴史
茨城の旅      北茨城市

五浦六角堂
ごづらろっかくどう
茨城県北茨城市大津町五浦727−2
茨城大学五浦美術研究所内
Tel 0293-46-0766


国登録有形文化財であったの六角堂は
平成23年(2011)3月11日の東日本大震災で津波の直撃を受け、
土台だけを残し消失してしまいましたが、
平成24年(2012)4月に再建されました。


 五浦美術文化研究所の地所と建物は、昭和17年(1942)に岡倉天心の遺族より岡倉天心遺跡顕彰会に寄贈されました。その後、昭和30年(1955)茨城大学に移管され、茨城大学五浦美術研究所となっています。
 現在の研究所敷地内には、明治38年(1905)に建てられた六角堂がありました。そして、周辺には明治37年(1904)に建てられた旧天心邸、長屋門などがあります。またウォーナー像や、天心記念館もあります。
 岡倉天心が日本美術再興を期して日本美術院を五浦海岸に移したのがこの研究所です。晩年、天心は海岸を見渡す場所に六角堂を建立し、中から太平洋の荒々しい姿を望みながら研究にふけったようです。
 六角堂は太平洋に張り出した岩盤の上に、天心自身の設計により建てられました。赤い六角形の堂は「観瀾亭」と名づけられました。岡倉天心を師と仰ぎ、五浦に集ったのは、横山大観をはじめ、下村観山、菱田春草、木村武山といった当時の若者達でした。
 平成23年(2011)3月11日の東日本大震災により六角堂は流され、建材を回収して復元しようとしましたが、木材は見つからず六角堂全体を復元することは困難となり登録有形文化財の登録は抹消しました。そして、平成24年(2012)4月に新築という形で再建されました。
 平成24年(2012)に「天心・六角堂復興プロジェクト」がグッドデザイン賞を受賞し、平成26年(2014)には、六角堂を含む天心の屋敷地と五浦海岸は「岡倉天心旧宅・庭園及び大五浦・小五浦」の名称で茨城県では初めての登録記念物に登録されています。


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