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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      伊勢原市

日向薬師
ひなたやくし
神奈川県伊勢原市日向1644
Tel 0463-95-1416


 日向薬師は高野山真言宗のお寺です。日向山霊山寺(ひなたさんりょうぜんじ)と称し、子院12坊を持つ大寺院でしたが、廃仏毀釈で霊山寺の別当坊であった宝城坊(ほうじょうぼう)が跡を継いでいます。中世以来「日向薬師」(ひなたやくし)の名で、薬師如来の霊場として信仰を集めました。
 日向薬師は土佐の柴折薬師、越後の米山薬師とともに日本三大薬師の一つに数え上げられています。また峰の薬師(相模原市)・高尾山薬王院・新井薬師とともに「武相四大薬師」にも名を連ねています。元正天皇の霊亀2年(716)、僧行基が開いたと伝えられています。、
 元正天皇の時代には勅願寺として栄えた格式の高い寺院で、「吾妻鏡」にも霊山寺の名が出てきます。修験道の霊場でもありました。建久3年(1192)には、源頼朝の妻・北条政子の安産祈願のために読経をさせた寺の中に霊山寺が入っています。また、建久5年(1194)には、源頼朝が娘の大姫の病平癒祈願のため参詣しています。
 鎌倉時代以後、武門諸氏の尊崇を受け大いに栄えましたが、江戸時代後期には次第に衰え、明治時代初期の廃仏毀釈によって多くの坊舎が失われ、本堂(薬師堂)、鐘堂、仁王門などをわずかに残すのみとなりました。
 本尊は行基作といわれる木造薬師如来像(116.6cm)です。脇待・日光菩薩(123.3cm)、脇待・月光菩薩(123.9cm)を合わせて薬師三尊像と呼ばれています。他に阿弥陀如来、四天王、薬師如来の守護神で十二支を頭にいただく十二神将など23体もの仏像が宝物殿に納められています。
 本堂、旧本堂内厨子、梵鐘なども合わせ、国の重要文化財9件、神奈川県および伊勢原市指定の文化財を多数所蔵しています。参道は桜の名所としても有名です。

日向薬師本堂(国重文)
 日向薬師本堂は間口7間、奥行5間、単層寄棟造り、茅葺きの建物で、中央に3間の向拝を付けています。万治3年(1660)に幕府から寄進された丹沢の立木百本および前本堂の古材を使って建てられています。 宝城坊本堂の名で平成7年(1995)に国の重要文化財に指定されています。
日向薬師本堂
 旧本堂内厨子も昭和43年(1968)に 国の重要文化財に指定されています。入母屋造り、こけら葺きの一間厨子です。室町時代前期の建武から元中年間(1333-1392)頃に造られたと思われます。本堂内にあった薬師三尊(国重文)を安置したもので、現在は收蔵庫におさめられています。
日向薬師本堂

日向薬師鐘堂
 日向薬師の鐘堂(しょうどう)は木造、茅葺きの建物で、暦応3年(1340)の銘の銅鐘(国重文)が吊るされていました。鐘堂は平安時代に建てられましたが、現存する鐘堂は宝暦13年(1763)に再建されたものです。12本の柱は刻を護るとされる十二神将を表すものと考えられています。鐘堂は伊勢原市の重要文化財に指定されています。
日向薬師鐘堂

日向薬師虚空蔵菩薩
 日向薬師の虚空蔵菩薩像は、本堂脇の幹が空洞になった霊樹のなかに祀られています。 以前は奥の院として日向山山頂下の祠の中に祀られていたそうです。子供が13歳に成長すると、より、福徳、智恵、慈悲心が授かるようにとお参りする菩薩です。
虚空蔵菩薩像

宝城坊の幡かけのスギ
 境内には「宝城坊の幡(はた)かけのスギ」が立っています。関東管領の足利基氏が幡をかけ、平和と幸せ・五穀豊穣を祈ったと伝えられています。「宝城坊の二本杉」として県の天然記念物に指定されています。樹齢800年と推定されています。かながわの名木100選にも選ばれています。
幡かけのスギ


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