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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      鎌倉市

英勝寺
えいしょうじ
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1−16−3
Tel 0467-22-3534


 東光山英勝寺は、鶴岡八幡宮の西方、扇ガ谷にあります。徳川家康の側室の英勝院が創建した浄土宗のお寺で、鎌倉唯一の尼寺です。ここは英勝院の祖先の太田道灌の邸跡ともいわれています。(英勝院は道灌の4代後、太田康資の娘・お勝の方です)
 お勝の方は家康の命により、後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めました。家康の死後は落飾して英勝院と称しました。その後、3代将軍・徳川家光より父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建したのです。
 水戸徳川家とのゆかりが深く、同家の姫が代々の住持を務め繁栄しました。そのため「水戸御殿」「水戸の尼寺」とも呼ばれました。仏殿をはじめとする各建物は、禅宗様と和様を自由に組合せた江戸時代前期らしい意匠を持っています。
 明治維新を機に水戸家からの住持は絶え、寺勢は衰えました。大正12年(1923)の関東大震災では山門、庫裏、蔵が倒壊するなど大きな被害を受けました。山門、鐘楼、仏殿、祠堂門、祠堂(しどう)が、国の重要文化財に指定されています。

英勝寺総門
 英勝寺総門前には「太田道灌邸舊蹟」の石碑が建ちます。なお、総門にはもともと後陽成天皇の弟宮の曼殊院良恕法親王の筆による「東光山」の扁額が掲げられていましたが、今は別保管されています。創建当初の総門は関東大震災後に移築され、現在は浄光明寺の山門となっています。
英勝寺総門

英勝寺山門(国重文)
 英勝寺の山門は、英勝院が没した後の寛永20(1643)に、讃岐高松藩主・松平頼重が建立しました。頼重は水戸の徳川頼房の子で、英勝院は頼房の養母でした。山門は入母屋造り、瓦棒銅板葺きの、三間一戸二階二重門です。
英勝寺山門
 関東大震災で倒壊してしまいましたが、篤志家の間島弟彦氏が部材を買い取り自宅の邸内に再建しました。そして平成23年(2011)に英勝寺境内に再移築・復元したものです。平成25年(2013)に国の重要文化財に指定されています。
英勝寺山門

英勝寺鐘楼(国重文)
 英勝寺の鐘楼は寛永20年(1643)に建てられました。 間口3間、奥行2間、入母屋造り、瓦棒銅板葺きで、黒塗りの腰板を纏った袴腰が付けられています。袴越鐘楼は格式の高い寺でのみ用いられる様式で、鎌倉ではここにしかありません。
英勝寺鐘楼
 山門を建立した水戸の頼房の子・水戸光圀により建立されたといわれています。梵鐘は、関東大震災後に佐島の福本寺に移されていましたが、昭和32年(1957)に新たに鋳造した鐘と交換し戻されたものです。英勝寺の鐘楼は平成25年(2013)に国の重要文化財に指定されています。
英勝寺鐘楼

英勝寺仏殿(国重文)
 英勝寺の仏殿は宝珠殿とも呼ばれています。間口3間、奥行3間、一重ですが裳階があり、寄棟造り、瓦棒銅板葺きの禅宗様の建物です。英勝院の没後、寛永20年(1643)に徳川頼房が改築しています。
英勝寺仏殿
 英勝寺仏殿に掲げられている扁額は曼殊院良恕法親王の筆によるもので「寶珠殿」と書かれています。総門の元の扁額も同親王の手によるものでした。
英勝寺仏殿
 仏殿の正面・中央には、御本尊の阿弥陀三尊像が鎮座します。向かって右奥が浄土教を大成した中国の善導大師、左奥が浄土宗・開祖の法然上人です。英勝寺仏殿は平成25年(2013)に国の重要文化財に指定されています。
英勝寺仏殿

英勝寺祠堂門(唐門)(国重文)
 英勝寺の祠堂門(しどうもん)は祠堂の手前階段前に建てられています。江戸前期の
元和・寛永から万治年間(1615-1660)の間に建てられたと思われます。銅瓦葺きの、一間一戸の平唐門(ひらからもん)です。唐破風が側面にあり、無彩色です。平成25年(2013)に国の重要文化財に指定されています。
英勝寺祠堂門(唐門)

英勝寺祠堂(国重文)
 英勝寺の祠堂(しどう)は英勝寺の開基・、英勝院の位牌を祀る建物で、昭和37年(1962)に完成した鞘堂の中にあります。間口3間、奥行3間、一重、宝形造り、銅瓦葺きで、江戸初期の寛永20年(1643)頃に建てられています。
英勝寺祠堂
 祠堂の中には、英勝院の御位牌が収められています。壁と戸は黒漆、柱は金泥、金具は銅板で仕上げられています。鞘堂ができるまでは雨風にさらされていました。平成25年(2013)に国の重要文化財に指定されています。祠堂の裏側は徳川光圀が建立した英勝院の御墓となっています。
英勝寺祠堂


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