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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      鎌倉市

建長寺
けんちょうじ
神奈川県鎌倉市山ノ内8
Tel 0467-22-0981


 建長寺は鎌倉で最も大きなお寺で、円覚寺と鶴岡八幡宮のちょうど中間あたりにあります。建長寺は巨福山(こふくさん)建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)といい、鎌倉5山の第1位とされる臨済宗建長寺派の大本山です。
 鎌倉5山とは室町時代に寺の格式が決められ、第1位建長寺、第2位円覚寺、第3位寿福寺、第4位浄智寺、第5位浄妙寺となっています。建長寺の伽藍配置は中国式で総門、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に連なる禅宗様式です。創建当時は左右に大禅堂、大食堂などもありましたが14、15世紀の数度の火災で多くが焼失しました。
 建長寺は建長5年(1253)、後深草天皇の勅命で鎌倉幕府5代執権北条時頼が建立したわが国最初の禅寺です。政治的には鎌倉が日本の中心地で、山ノ内は、幕府中枢から近く、鎌倉の北の出入口にあたる要衝の地でした。
 招聘され、開山した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は中国(宋)から渡来した僧でした。中国で高僧無明慧性に学び、寛元4年(1246)、33歳の時に来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺に迎えられました。
 蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅風をそのまま導入し、一時は千人を超える修行僧を指導したそうです。寺内では日常的に中国語が使われていたそうです。文永の役の際には中国のスパイと疑われ流されましたが、再び建長寺住持になっています。
  その後、建長寺は正応6年(1293)の鎌倉大地震により倒壊、炎上し、元から渡来した一山一寧が再建に着手しますが、正和4年(1315)、応永23年(1416)の火災などで創建当初の建物は失われました。鎌倉時代末期には修復費用捻出のため建長寺船と呼ばれる貿易船なども出現しました。
 江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が再建されたり、移築されたりしました。大正12年(1923)の関東大震災でも大被害を受けています。山門、仏殿、法堂、昭堂、唐門、大覚禅師塔(石造無縫塔)は国の重要文化財に指定され、梵鐘は国宝、境内は国の史跡に指定されています。

建長寺境内(国史跡)
 建長寺の境内は総門、山門、仏殿、法堂を一線上に並べ、最奥部に方丈と池を配し、宋様式の本格的な禅宗伽藍を整えています。庭園は夢窓疎石の作といわれています。建長寺の境内は昭和41年(1966)に国の史跡に指定されています。
建長寺境内

建長寺総門
 建長寺の総門は、江戸時代の天明3年(1783)に京都の般舟三昧院(現在は西圓寺)で建立された正門を昭和15年(1940)に移築したものです。「巨福山」と書かれた額は、建長寺第10世の中国僧、一山一寧(一山国師)禅師の筆です。
建長寺総門

建長寺三門(国重文)
 建長寺の三門は三間一戸2階二重門、入母屋造り、銅板葺きで、正面に軒唐破風が付けられています。下層は吹き放しで、上層内部には仏壇を備えています。安永4年(1775)に建てられたもので、棟梁には建長寺の大工であった河内長兵衛が務めています。
建長寺三門
 建長寺の三門は三解脱門を意味しています。空・無相・無作を表しこの三門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれるそうです。楼上に五百羅漢などが安置されています。この門の下を通ると心が清浄になるといわれています。平成17年(2005)に国の重要文化財に指定されています。
建長寺三門

建長寺仏殿(国重文)
 建長寺の仏殿には建長寺の本尊である地蔵菩薩を安置しています。間口3間、奥行3間、一重で裳階(もこし)付き、寄棟造り、瓦棒銅板葺きで、裳階の正面に軒唐破風が付けられています。江戸前期の寛永5年(1628)に建てられた江戸の増上寺の霊屋(たまや)を正保4年(1647)に譲り受け移築した建物です。
建長寺仏殿
 この霊屋は徳川2代将軍秀忠の夫人でお江の方(崇源院)の霊屋でした。そのため屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっています。屋根は入母屋造りでなく寄棟造り、天井は和様の格天井です。仏殿は大正11年(1922)に国の重要文化財に指定されています。
建長寺仏殿

建長寺唐門(国重文)
 建長寺の唐門は屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)、銅板葺きで、間口1間、奥行1間の向唐門です。方丈入口の門で、勅使門ともいわれます。仏殿と同様に寛永5年(1628)に建てられた増上寺の崇源院の霊屋の門を正保4年(1647)に譲り受け移築した建物です。
建長寺唐門
 関東大震災で被災し、傷んでいましたが、大修理が施され、平成23年(2011)年5月に、移築当時の姿に再現されています。唐門は大正11年(1922)に国の重要文化財に指定されています。
建長寺唐門

建長寺法堂(国重文)
 建長寺の法堂(はっとう)は間口3間、奥行3間、一重で裳階(もこし)付き、入母屋造り、銅板葺きの建物です。棟梁は建長寺大工の河内久右衛門で、江戸後期の文化11年(1814)に上棟され、文政8年(1825)に再建されました。平成17年(2005)に国の重要文化財に指定されています。
建長寺法堂
 関東最大の法堂で、堂内中央奥に高さ2mを超える法座を設け、その奥に本尊の千手観音坐像を安置しています。昔は、建長寺全体が修行道場であり、僧侶全員がこの法堂に集まって、住持の説法を聞き、修行の眼目としたそうです。
建長寺法堂

建長寺梵鐘(国宝)
 建長寺梵鐘は三門右手の鐘楼に架かっています。円覚寺の洪鐘(おおがね)とともに国宝に指定されています。高さは約2.1mあり、建長寺創建当時の数少ない遺品の1つです。建長7年(1255)、鋳物師物部重光が鋳造したものです。
建長寺梵鐘
 銘は蘭渓道隆が撰(作文)し、筆を執ったもので、文字は陽鋳(字形が彫り込まれるのではなく立体的に浮き出している)となっています。撞座の位置が高い点など、全体に復古的な作風を示す鐘です。銘文中の「建長禅寺」は、日本における「禅寺」という語の最初に使われた言葉です。
建長寺梵鐘

建長寺方丈
 建長寺の方丈は竜王殿とも呼ばれています。本来は住持が居住する場所ですが、現在は法要、座禅、研修の場所として使われています。この建物は、総門と同じく京都の般舟三昧院より昭和15年(1940)に移築されたものです。建物は享保17年(1732)の建立で、元は皇室のお位牌を安置するためのお堂でした。
建長寺方丈

建長寺のビャクシン
 建長寺の仏殿前に立つビャクシン(白槙)は樹高13m、目通り幹周り6.5mで推定樹齢730年といわれています。鎌倉市の保存樹木に指定され、神奈川県の「名木100選」にも数えられています。
ビャクシン
 ビャクシンはイブキとも呼ばれ東北南部から九州の海岸に生える常緑樹です。社寺や庭園によく植えられ、禅寺を象徴する樹木です。開山蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を建長寺創建の際にまいたと伝えられています。
ビャクシン


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