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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      鎌倉市

光明寺
こうみょうじ
神奈川県鎌倉市材木座6−17−19
Tel 0467-22-0603


 天照山光明寺は浄土宗の大本山です。鎌倉幕府第4代執権・北条経時が浄土宗第3祖然阿良忠上人を開山に迎え、佐助ヶ谷に仁治元年(1240)、蓮華寺を創建、寛元元年(1243)、現在地に移転の上、光明寺と改めたといわれています。
 良忠上人は伏見天皇より永仁元年(1293)に記主禅師の諡号(しごう)を贈られた高僧です。比叡山に学んだ後、浄土宗の二祖聖光上人の弟子となり、三祖となりました。宗祖は法然上人で、聖光上人は法然上人の弟子で久留米の善導寺を開き、二祖となった高僧でした。
 その後も第5代執権・北条時頼をはじめ歴代執権の帰依をうけ、七堂伽藍を整え、関東における念仏道場の中心となりました。そして、第9世祐崇上人の代に十夜念佛法要を始め、光明寺を中興させました。そして後土御門天皇より「関東総本山」の称号を受け、勅願所となりました。
 徳川家康の関東入国後の天正19年(1591)、光明寺に寺領100石の朱印状が与えられました。浄土宗の関東十八檀林の第一位になり、念仏信仰と仏教研鑽の根本道場となりました。檀林とは徳川幕府が定めた学問所のことです。

光明寺総門
 光明寺の総門は明応4年(1495)に建てられ、寛永年間(1624-1628)に再建された建物です。鎌倉市の有形文化財に指定されています。
光明寺総門

光明寺山門
 光明寺の山門(三門)は間口約16m、奥行約7m、高さ約20mの五間三戸二階二重門です。鎌倉に現存する山門の中で最大の大きさで、格式を備えており、神奈川県の重要文化財に指定されています。弘化4年(1847)に再建された門で、1階が和風、2階が中国風に造られています。
光明寺山門
 5間のうち中央の3つの間にはそれぞれ両開きの大板戸があり、それが入り口になっています。柱は粽(ちまき)柱といい、全部丸柱で上と下が丸まっています。2階中央に掲げてある「天照山」の額は永享8年(1436)に後花園天皇より賜った額です。
光明寺山門

光明寺本堂(国重文)
 光明寺の本堂は大殿とも呼ばれ、本尊の阿弥陀如来、観音、勢至菩薩を安置しています。江戸中期の元禄11年(1698)に地元鎌倉の大工・蔵並木工之助が棟梁となり建てられました。間口9間、奥行11間、一重、入母屋造り、瓦棒銅板葺きで、正面に3間の向拝を付けています。
光明寺本堂
 鎌倉の近世仏堂の中で最大の大きさで、内部の円柱、格天井、欄間の透彫など建立当初の荘厳さを残しています。内部は上段式になっている内陣と後陣があり、二重構成の広大な外陣があります。江戸時代の浄土宗関東十八檀林の中心建築を知る上で貴重な遺構で、平成11年(1999)に国の重要文化財に指定されています。
光明寺本堂

光明寺開山堂
 光明寺の開山堂は開山した良忠上人(記主禅師)を中心に祀っています。上人は正嘉2年(1258)頃に鎌倉に入り、4代執権・北条経時の帰依を受け、この寺を開きました。学徳を備えた高僧で、すぐれた僧侶を育てました。没後、伏見天皇から記主禅師の謚号を贈られています。
光明寺開山堂

光明寺鐘楼
 光明寺の鐘楼は山門を入って右手に建てられています。江戸時代末期の弘化4年(1847)に建立された総欅造り、瓦葺きの建物です。鎌倉にある近世に建てられた鐘楼では最も大きなものです。梵鐘は昭和36年(1961)の法然上人750年遠忌にあたって鋳造されています。重さは300貫(1125kg)もあるそうです。
光明寺鐘楼

善導大師像
 善導大師は中国唐時代に活躍した浄土教の高僧です。宗祖である法然上人はこの善導大師の教えに導かれて浄土宗を開きました。光明寺の開山・良忠上人も崇敬していました。この銅像は寛文3年(1663)に第41世玄譽知鑑上人が建立しています。
善導大師像

繁栄稲荷大明神
 繁栄稲荷大明神が鐘楼の近くに建てられています。良忠上人が佐助ヶ谷にいた頃、子狐を助けたそうです。すると夢に親狐が出て薬種袋をお礼に置いていったそうです。疫病が流行した時、薬種を蒔くと3日の内に成長し、この薬草の効能で多くの人を助け、その後、稲荷大明神として光明寺に勧請したそうです。
繁栄稲荷大明神


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