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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      鎌倉市

鶴岡八幡宮
つるがおかはちまんぐう
神奈川県鎌倉市雪ノ下2ー1ー31
Tel 0467-22-0315


 鶴岡八幡宮は康平6年(1063)、河内国(大阪府羽曳野市)を本拠とする河内源氏2代目の源頼義が前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に鶴岡若宮として勧請したのが始まりです。
 永保元年(1081)には河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復を加えています。その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝が治承4年(1180)、宮を現在の地である小林郷北山に遷座しました。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していきました。
 建久2年(1191)、社殿の焼損を機に、上宮(本宮)と下宮(若宮)の現在の姿に整え、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請しました。承元2年(1208年)には神宮寺が創建され、鎌倉幕府の宗社にふさわしい姿になりました。鎌倉はこの頃、京都と並んで政治文化の中心となっていました。
 頼朝は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興しました。鶴岡八幡宮は関東の守護、国家鎮護の神社となり、武家の精神のよりどころとなりました。そして、その信仰は全国に広まっていきました。
 鎌倉幕府衰退後は、25の僧坊の数も減少し、一時衰退しました。戦国時代には里見氏との鶴岡八幡宮の戦いで焼き討ちに遭いました。その後、北条氏綱により再建されました。江戸時代に入ると徳川幕府の庇護を受け、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂などが建てられました。
 3代将軍・徳川家光の時には薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられました。また境内には、方五間の多宝大塔、東照宮も存在していました。明治維新までは神仏習合して八幡宮寺と呼ばれ30以上の堂宇を構えていました。
 慶応4年(1868)に「神主を兼帯していた僧侶に対して還俗する旨の通達」が明治政府から出され、明治3年(1870)には大教宣布も出され、廃仏毀釈の動きが始まりました。多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分されてしまいました。

鶴岡八幡宮境内 (国史跡)
 85000平方mある鶴岡八幡宮境内は国の史跡に指定されています。 大鳥居、丸山稲荷社本殿、若宮(下宮)、上宮本殿、幣殿、拝殿、回廊、武内社本殿は国の重要文化財に指定され、舞殿、白旗神社、旗上弁財天社、などが点在しています。
鶴岡八幡宮境内

鶴岡八幡宮一の鳥居(国重文)
 鶴岡八幡宮の大鳥居は一の鳥居で、八幡宮から離れたところに建てられています。高さ8.5m、柱の直径は0.92mの石造明神鳥居です。江戸中期の寛文8年(1668)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱によって再建されています。柱に寛文八年戊申八月十五日の刻銘が刻まれています。
一の鳥居
 家綱は備前国(岡山県の東南部)の犬島から御影石を取り寄せ、3基の大鳥居(一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居)を寄進しています。明治37年(1904)、3基の鳥居はすべて国宝に指定されましたが、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊しました。一の鳥居だけは自然石で修復し、国の重要文化財に指定されています。
一の鳥居

鶴岡八幡宮上宮本殿(国重文)
 鶴岡八幡宮の上宮(うえみや)本殿は、江戸時代後期の文政11年(1828)に江戸幕府11代将軍・徳川家斉によって再建された社殿です。應神天皇・比賣神・神功皇后を祀る鶴岡八幡宮の中心となる建物です。
鶴岡八幡宮上宮本殿
 上宮本殿は九間社流造り、銅板葺きの権現造りの江戸建築です。近世の技法で華やかに装飾された社殿は、江戸時代の神社建築を代表しています。年間を通じて様々な祭事がここで執り行われます。平成8年(1996)に国の重要文化財に指定されています。
鶴岡八幡宮上宮本殿

鶴岡八幡宮上宮・拝殿及び幣殿(国重文)
 鶴岡八幡宮上宮の拝殿は間口3間、奥行2間、一重、入母屋造り、銅瓦葺きです。幣殿は間口4間、奥行1間、一重、両下造り、銅瓦葺きで、拝殿と本殿の間にあります。華やかに装飾され、江戸時代の神社建築を代表しています。本殿同様、平成8年(1996)に国の重要文化財に指定されています。
拝殿及び幣殿

鶴岡八幡宮上宮回廊(国重文)
 鶴岡八幡宮上宮の廊は本殿、拝殿、幣殿とともに江戸時代後期の文政11年(1828)に江戸幕府11代将軍・徳川家斉によって再建された建物です。折曲り延長52間、奥行2間、一重、銅板葺きで、平成8年(1996)に国の重要文化財に指定されています。
鶴岡八幡宮上宮回廊

鶴岡八幡宮上宮末社・武内社本殿(国重文)
 鶴岡八幡宮上宮の末社である武内社本殿は本殿に向かい、左側手前に鎮座しています。一間社流造り、銅瓦葺きの社殿で、江戸時代後期の文政11年(1828)に江戸幕府11代将軍・徳川家斉によって再建されています。平成8年(1996)に国の重要文化財に指定されています。
武内社本殿

鶴岡八幡宮摂社若宮本殿(国重文)
 鶴岡八幡宮の摂社である若宮(下宮)本殿は上宮が造営されるまでは本殿であった建物です。銅板葺きの、五間社流造りの社殿で、江戸前期の寛永元年(1624)に 江戸幕府2代将軍・徳川秀忠によって再建された社殿です。平成8年(1996)に国の重要文化財に指定されています。
摂社若宮本殿

鶴岡八幡宮摂社若宮拝殿・弊殿(国重文)
 鶴岡八幡宮の摂社である若宮の拝殿は間口3間、奥行2間、一重、入母屋造り、銅板葺きで1間の向拝が付けられています。幣殿は間口4間、奥行1間、一重、両下造り、銅瓦葺きで、拝殿と本殿の間にあります。平成8年(1996)に国の重要文化財に指定されています。
摂社若宮拝殿・弊殿

鶴岡八幡宮末社丸山稲荷社本殿(国重文)
  鶴岡八幡宮の末社である丸山稲荷社(まるやまいなりしゃ)本殿は室町時代中期の応永5年(1398)に建てられた 鶴岡八幡宮で最も古い社殿です。銅板葺きの、一間社流造りで、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。
丸山稲荷社本殿

鶴岡八幡宮舞殿
  鶴岡八幡宮の舞殿は下拝殿ともいわれます。銅板葺きで、入母屋造り、正面と背面に唐破風が付けられています。文治2年(1186)鎌倉に連れてこられた静御前が舞殿で舞を舞ったそうです。その当時は若宮の廻廊だったようです。現在の社殿は昭和8年(1933)に再建された建物です。
鶴岡八幡宮舞殿

鶴岡八幡宮の大銀杏
 境内の中にあった御神木の大銀杏(おおいちょう)は、樹齢800年とも1000年ともいわれ、八幡宮の長い歴史を見つめてきました。鎌倉時代、源頼家の子である公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したといわれています。残念ながら平成22年(2010)に雪混じりの強風によって倒伏してしまいました。
鶴岡八幡宮の大銀杏

鶴岡八幡宮の大石段
 鶴岡八幡宮の大石段は舞殿から本宮の楼門を繋いでいます。61段あり、途中に柵で囲まれた大銀杏の根本があります。登り切った上宮(うえみや)から鎌倉の街を一望できます。空気の澄んだ晴れた日には水平線や伊豆大島を見ることができるそうです。
鶴岡八幡宮の大石段

鎌倉国宝館
 鶴ヶ岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館は、昭和3年(1928)に竣工しました。大正12年(1923)の関東大震災で鎌倉も大きな被害を受けました。円覚寺の仏殿が倒壊したのを始め、貴重な文化財が罹災したことから、耐震・耐火の収蔵・展示施設を建てることになったものです。
鎌倉国宝館
 鶴岡八幡宮だけでなく、鎌倉市内の各社寺が所蔵する仏像、工芸品、書画、古文書など貴重な文化財4800点余りを保管、展示しています。建長寺の「蘭溪道隆像」(国宝)や鶴岡八幡宮の「弁才天坐像」(国指定重要文化財)なども展示されています。
鎌倉国宝館


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