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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      川崎市川崎区

川崎大師 平間寺
かわさきたいし へいげんじ
神奈川県川崎市川崎区大師4−48
Tel 044-266-3420


 川崎大師は正式には金剛山金乗院平間寺 (こんごうさんこんじょういんへいけんじ) と号します。高尾山薬王院・成田山新勝寺とともに、真言宗智山派の関東三山といわれます。
 江戸の昔から、さまざまな厄除け大師として有名で、初詣には全国から300万人もの参拝者が訪れます。神奈川県では1番、全国でも3番目の人手になります。
 大治2年(1127)、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪で生国の尾張国を追われ、諸国流浪のあげく川崎に辿り着いて漁師として暮らしていました。ある日、高僧の夢のお告げで舟をだし、海中から弘法大師の尊像を引き上げました。
 42歳の厄年だった兼乗は、その尊像を祀り、草庵を建てて供養を怠りませんでした。のちに高野山の尊賢上人が諸国行脚の途中この地に訪れ、この話を耳にしました。大治3年(1128)自ら開山し、兼乗と力を合わせて正式に平間寺を建立したということです。
 文化10年(1813)に徳川幕府第11代将軍、家斉が厄除に訪れ、厄除け大師として広まりました。家慶、家定、家茂も厄除けに訪れ広く世間に知れ渡りました。
 大山門前の参道の仲見世通り門前町には名物の久寿餅やダルマ、飴などのお店が軒を並べています。久寿餅は江戸天保年間に大師河原村の職人・久兵衛が作り、古くから川崎大師の名物になりました。

大山門
 大山門は昭和52年(1977)開創850年の記念事業として落慶しました。京都の東寺の国宝・四天王像を真似て、門の四方には四天王像(持国天、増長天、広目天、多聞天)の像が安置されています。
大山門
 上層部分には薬師如来像を安置するほか、経庫になっており、同寺で行われる「写経会」で写経された経文や、奉納された写経が収められています。
大山門

大本堂
 弘法大師1000年御遠忌で天保5年(1834)建立された本堂は昭和20年(1945)の空襲で焼失してしまいました。本尊厄除弘法大師像は第43世高橋隆超大僧上の決断により、空襲の2日前に横浜の観音寺に疎開していたので無事でした。
大本堂
 この本尊は大治2年(1127)に、平間兼乗が夢のお告げによって海中から拾い上げた弘法大師木像です。徳川家斉、家慶、家定、家茂などが厄除詣りしたことで厄除大師として信仰が広がっていったのです。
大本堂
 本堂は昭和39年(1964)5月に大本堂として再建されました。本尊厄除弘法大師を中心に不動明王、愛染明王、稚児大師、救世観音、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅が奉安されています。毎日煩悩を焼き尽くす護摩(ごま)が焚かれています。
大本堂

不動堂
 現在の不動堂は昭和39年(1964)に再建されたものです。本尊の不動明王は成田山新勝寺の不動明王の本尊を勧請した御分躰の不動尊だそうです。
不動堂
 この不動堂は武相不動尊霊場第1番札所、関東36不動霊場第7番札所となっています。
不動堂

八角五重塔
 八角五重塔は昭和58年(1983)に造られた国内初の建築で、木造本瓦葺の本格的な仏塔です。弘法大師没後1150年を記念して建立されています。塔の八角は真言の様式にかなうよう、華麗にして格調ある形であり、最も円に近い建造物であるといわれ「包容力」、「完全性」が象徴されているそうです。
八角五重塔
 内部には弘法大師像などが安置されています。毎月第1日曜日と21日の縁日に限り内部が拝観できるそうです。
八角五重塔
 八角五重塔の2層に恵果和上像、弘法大師像、興教大師像、両界曼荼羅を安置。初層に真言八祖の図像、金剛界五智如来像、地下の大師地区慰霊堂には釈迦如来が奉安されているそうです。
八角五重塔

経蔵
 経蔵とは仏教の経典を納める庫のことです。ここには説法釈迦如来が奉安されていて、「乾隆版大蔵経(けんりゅうばんだいぞうきょう)」という中国最後の木版大蔵経が収蔵されているそうです。平成16年(2004)大開帳奉修を記念して建立され七堂伽藍が整ったそうです。
経蔵

中書院
 静かなたたずまいの中書院は昭和41年(1966)に落慶しています。。三笠宮妃百合子妃殿下が命名された南側「光聚庵」と茶道裏千家家元千宗室・現玄室宗匠が命名した北側「心月庵」、「静嘉軒」(立礼席)からなり茶道を楽しむ人の憩いの場となっています。
中書院

六字名号塔
 願いが叶ったときに神社に奉納する「南無阿弥陀仏」と刻んだ石標を六字名号塔といいます。銘文が塔身正面 ・裏面、台座につきますが、塔身部の年号寛永5年(1628)と台座の干支戌午が一致していないそうです。後に観心敞範なる僧によって台座が添えられたと考えられています。
六字名号塔

鐘楼堂
 寛政元年(1789)に建立されましたが、大正2年(1913)の震災のために倒壊、移築後、昭和20年(1945)の戦災により焼失しました。昭和23年(1948)に再建されたものです。梵鐘は寛政7年(1795)に再鋳されたもので大晦日の除夜の鐘として響かせています。
鐘楼堂

遍路大師像
 昭和48年(1973)弘法大師生誕1200年記念事業として造られ、5月に開眼法要が執り行なわれたそうです。像の周囲に新四国八十八ヶ所札所の石柱が立ち、貫首が四国遍路をした際の砂が埋設されているそうです。健康、健脚を祈願しています。
遍路大師像

旧本堂の礎石
 旧本堂の礎石です。
 天保5年(1834)に建立された本堂の礎石です。非常に規模の大きい堂宇でしたが、昭和20年(1945)の空襲によって焼失してしまいました。
旧本堂の礎石

まり塚碑
 まり塚碑です。
 昭和26年(1951)1月に建てられました。
 毎年5月21日にまり塚祭りが催され芸能人より演芸が奉納されるそうです。
まり塚碑

茶筅塚
 茶筅(ちゃせん)塚です。
 天保6年(1835)茶施翁の碑などが残されています。僧侶の読経斎唱のなか、大師が護摩を焚き、柄を白い紙で巻かれた茶筅を入れます。その後、代表の方々がひとつずつ入れて焚きます。
茶筅塚

力石
 力石です。
昔、力比べに使っていたそうです。
力石


降魔成道釈迦如来像
 降魔成道(ごうまじょうどう)釈迦如来像です。「降魔成道」とは、釈尊が「さとり」を開いたときの姿です。鶴の池に隣接する形でまつられ、浮御堂から参拝します。昭和52年(1977)開創850年記念事業として造られました。
降魔成道釈迦如来像
 釈尊が「さとり」を完成しようとして菩提樹の下に座っていた時、種々の悪魔が現れて誘惑しあるいは脅迫して妨害しようとしましたが、釈尊はこれをことごとく退けて「さとり」をひらいたそうです。この時、左手を膝の上におき、右手を伸ばして大地を指したそうです。
降魔成道釈迦如来像


自動車交通安全祈祷殿
 昭和38年(1963)創建されたそうです。昭和45年(1970)11月、現在のインド風の堂宇になりました。ヒンドゥー寺院かカンボジアの仏教寺院のようです。
自動車交通安全祈祷殿
 祈祷殿の中央大塔には「大法輪」が掲げられています。仏教のもつ偉大性・弘法大師ご誓願の庶民救済の一大信念が表現されています。弘法大師、不動明王、般若守護十六善神が奉安されています。
自動車交通安全祈祷殿


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