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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      横浜市中区

山下公園
やましたこうえん
神奈川県横浜市中区山下町279
Tel 045-681-1860


 昭和5年(1930)3月に開園した山下公園は、横浜の公園の中で一番知られている公園です。修学旅行生やカップル、家族連れやグループ、休日はもちろん平日であっても多くの人出で賑わっています。
 氷川丸の前のあたりと、「世界の広場」の東側あたりには花壇があって、季節毎の花々が美しく咲いています。
 山下公園は関東大震災の復興事業のひとつとして瓦礫を埋め立てて造成された公園なのです。
 第2次世界大戦後はアメリカ軍によって接収されましたが、昭和29年(1954)から少しずつ返還され、整備、改良を経て、昭和36年(1961)には再整備が完了してほぼ現在の姿となりました。
 昭和63年(1988)に行われた横浜博覧会の際に東側の地下駐車場とその上部の「世界の広場」などが整備されました。
 山下公園西側に残っていた旧臨港鉄道高架跡を利用して、平成14年(2002)春に「山下臨港線プロムナード」が整備されました。これによって山下公園と新港地区とが遊歩道で結ばれ散策がしやすくなりました。平成28年には横浜のシンボルガーデンとして「未来のバラ園」がオープンしています。
 山下公園には、氷川丸や数多くの記念碑などがあります。サンディエゴ市から贈られた「水の守護神」、童謡で馴染みの深い「赤い靴はいてた女の子像」、「かもめの水兵さんの歌碑」などです。公園の西端には在日インド人協会から昭和12年に寄贈されたインド水塔があります。

氷川丸(国重文)
ひかわまる
横浜市中区山下町山下公園地先
 氷川丸は全長163.3m、幅20.1m、総トン数11622トンの豪華客船です。昭和5年(1930)三菱横浜造船所で造られました。アール・デコ様式のインテリアも取り入れられたこの船は「北太平洋の女王」と呼ばれたそうです。船名は、氷川神社からとったそうです。
 戦前、戦後を通じ北太平洋を238回横断し、延べ2万5千人余の乗客を運んだ氷川丸は、昭和35年(1960)10月、現役生活を引退しました。運航終了後は横浜市山下公園前の横浜港に係留されています。
 氷川丸を運営していた氷川丸マリンタワーは平成18年(2006)運営を終了し、船体を日本郵船に譲渡しました。日本郵船は船体の修繕・内装の修復を行い平成20年(2008)から博物館船として公開を再開しました。戦前期に多数建造された外洋航路船の現存唯一の遺存として、平成28年(2016)に国の重要文化財(歴史資料)に指定されました。

ガールスカウトの像
 山下公園には、アメリカのガールスカウト50周年と、日本の世界連盟正式加入を記念して建てられた「ガールスカウトの像」があります。

かもめの水兵さん
 かもめの水兵さん ならんだ水兵さん
 白い帽子 白いシャツ 白い服
 波にチャップ チャップ うかんでる
 童話作家の武内俊子が詞を書き、河村光陽がこれに曲を付けました。昭和12年(1937)光陽の娘で童謡歌手の河村順子が歌いました。

水の守護神
 昭和35年(1960)姉妹都市であるアメリカのサンディエゴから贈られたモニュメント「水の守護神の像」です。

赤い靴の女の子の像
 野口雨情の詩になる童謡"赤い靴"をはいていた女の子の像です。
 赤い靴 はいてた 女の子
 異人さんに つれられて いっちゃった
 横浜の 埠頭から 船に乗って
 異人さんに つれられて いっちゃった


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