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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      横浜市西区

掃部山公園
かもんやまこうえん
神奈川県横浜市西区紅葉ケ丘57


 掃部山公園は神奈川奉行所の跡地だった所です。日米修好通商条約の調印をした大老、井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)ゆかりの公園です。明治14年(1881)、彦根藩士有志がこの地を買い取り記念碑を建てました。
 明治42年(1909)に井伊大老の銅像が建立されました。大正3年(1914年)、井伊家より横浜市へ寄付され、掃部山公園として整備されました。戦時中、金属回収指示により銅像は供出されましたが、昭和29年(1954)に開国100周年を記念して横浜市が再建しています。
 井伊直弼は彦根城で生まれましたが庶子であり、養子の口も無く17歳から32歳までの15年間を300俵の捨扶持の部屋住みという暮らしだったそうです。弘化3年(1846)兄の井伊直亮の養子という形で彦根藩の後継者に決定し、嘉永3年(1850)に兄の井伊直亮の後を継いで彦根藩主となった人です。
 彦根藩時代は藩政改革を行い名君と呼ばれ、アメリカ合衆国のペリー艦隊来航に伴う江戸湾防備に活躍しました。孝明天皇の勅許無しでアメリカと日米修好通商条約を独断で調印、反対派を安政の大獄により多数粛清したため、安政7年(1860)3月3日水戸藩浪士により桜田門付近で暗殺されてしまいました。


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