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埼玉の旅と歴史
埼玉の旅      川越市

喜多院
きたいん
埼玉県川越市小仙波町1−20−1
Tel 049-222-0859


 星野山無量寿喜多院は徳川家とゆかりの深い名刹です。五百羅漢やダルマ市で有名で、川越大師とも呼ばれます。天長7年(830)、慈覚大師円仁が無量寿寺というお寺を開いたことからこのお寺は始まります。元久2年(1205)、無量寿寺は兵火に遭い荒廃しました。
 永仁4年(1296)、尊海僧正が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興しました。伏見天皇は関東天台宗の本山としています。仏蔵院(北院)・仏地院(中院)・多聞院(南院)が建てられ、関東における天台宗の中心的存在になりました。
 寛永10年(1633)中院のあった場所に仙波東照宮が建てられ、中院は200m南方に移動しました。天文6年(1537)には北条氏綱と上杉朝定(ともさだ)の戦火に巻き込まれ焼失してしまいました。
 慶長4年(1599)、天海僧正が無量寿寺の北院の第27世を継承しました。慶長16年(1611)に徳川家康が川越を訪れ接見しています。その翌年、当時の名称であった仏蔵院北院を喜多院と改めました。天海僧正は家康の信任を得て寺勢をふるうようになりました。
 慶長18年(1613)には2代将軍徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と位置づけられ500石の寺領を賜りました。寛永15年(1638)、大火により現存の山門を残し、すべての堂宇は焼失してしまいました。
 3代将軍徳川家光の命により再建が行われました。その際に江戸城紅葉山の別殿を解体移築して、客殿、書院、庫裏に当てました。慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社なども数年の間に相次いで再建されました。
 客殿、書院、庫裏は現存する江戸城唯一の遺構であり、国の重要文化財に指定されています。4代将軍徳川家綱は200石を加増しました。750石、寺域48000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛しました。
 喜多院は川越大師としても知られ、初大師、節分会、桜まつりなどでにぎわいます。毎年1月3日には、恒例のだるま市が行われ、家内安全、商売繁盛、諸願成就を願う人々がだるまを買い求めに訪れます。

喜多院山門(国重文)
 喜多院の山門は天海僧正が寛永9年(1632)に建立したものです。寛永15年(1638)の川越大火での焼失を免れ、喜多院では最古の建造物です。切妻造り、本瓦葺きの四脚門で、昭和21年(1946)に国の重要文化財に指定されています。山門の右側には番所があります。江戸時代の建築で、同種の物としては埼玉県内に残る唯一の遺構です。
喜多院山門

喜多院客殿(国重文)
 喜多院の客殿は、書院、庫裏とあわせ江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したものです。寛永15年(1638)の大火で焼失した堂宇を再建するため家光が移築させました。上段の間は、3代将軍徳川家光がここで生まれたということから、「徳川家光誕生の間」と呼ばれています。
喜多院客殿
 客殿は間口8間、奥行5間、一重の入母屋造りでこけら葺きです。12畳半2室、17畳半2室、10畳2室があり、床、違棚及び仏間が附属しています。客殿は昭和21年(1946)に国の重要文化財に指定されています。
喜多院客殿

喜多院書院(国重文)
 喜多院の書院は江戸時代前期の寛永16年(1639)に建てられています。間口6間、奥行5間、一重、一部中二階付き、寄棟造り、こけら葺きで、床、床脇及び押入が附属しています。書院には「春日局化粧の間」があります。書院は昭和21年(1946)に国の重要文化財に指定されています。
喜多院書院

喜多院庫裏(国重文)
 喜多院の庫裏は江戸時代前期の寛永15年(1638)に建てられています。母屋は間口10間、奥行4間、一重、一部中二階付、一端入母屋造り、他端寄棟造り、とち葺形銅板葺きです。食堂は間口4間、奥行3間、一重、一端寄棟造り、他端母屋に接続、とち葺形銅板葺きです。昭和21年(1946)に国の重要文化財に指定されています。
喜多院庫裏

喜多院慈眼堂(国重文)
 前方後円墳の墳丘に喜多院の慈眼堂(じげんどう)があります。慈眼堂は天海僧正を祀ったお堂で、正保2年(1645)、3代将軍家光の命により建立されたといわれています。間口3間、奥行3間の、一重、宝形造り、本瓦葺きです。背面に1間の通り庇(ひさし)が付いています。禅宗様式に和様を折り込んだ造りです。
喜多院慈眼堂
 堂内中央の須弥(しゅみ)壇に厨子(ずし)があります。寛永20年(1643)に108歳で亡くなる2ヶ月前の姿を写した天海僧正の木像を安置しています。厨子は1間厨子、向唐破風造り、本瓦形板葺いです。慈眼堂は昭和21年(1946)に国の重要文化財に指定されています。
喜多院慈眼堂

喜多院鐘楼門(国重文)
 慈眼堂の正面石段を下りて、まっすぐ行くと喜多院の鐘楼門(しょうろうもん)があります。間口3間、奥行2間、入母屋造り、本瓦葺きで袴腰が付けられています。元禄15年(1702)建立と伝えられています。壁面の東側には龍、西側には鷹の彫刻が、それぞれ二つずつはめ込まれています。昭和21年(1946)に国の重要文化財に指定されています。
喜多院鐘楼門

喜多院多宝塔
 慈恵堂に向かって右手に多宝塔があります。寛永16年(1639)に建立されています。もとは山門の北側、日枝神社と白山神社の間にありました。高さ13m、三間、重層の宝形造り、本瓦葺きの多宝塔です。塔の中間には漆喰塗りの円形部分「亀腹」があります。江戸時代初期の多宝塔の特徴をよく残している建造物で、埼玉県の有形文化財に指定されています。
喜多院多宝塔

喜多院慈恵堂
 喜多院の慈恵堂(じえどう)は、前方3間を外陣、後方2間を内陣とする喜多院の本堂で、慈恵大師と慈眼大師が祀られています。建物は寛永16年(1639)に建立されました。間口9間、奥行6間、入母屋造り、銅板葺き(もとは桟瓦葺き)、向拝付きの大きな建物です。埼玉県の有形文化財に指定されています。
喜多院慈恵堂

五百羅漢
 喜多院の境内に五百羅漢があります。「日本三大羅漢」の1つに数え上げられています。人間味あふれる様々な表情をした石像は、それぞれどこか身近にいそうな親しみを感じさせます。
 五百羅漢は、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたもので、538体の石仏があります。
 十大弟子、十六羅漢を含め、五百三十五尊者のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩などがあります。
 五百羅漢は喜多院境内の一角のおみやげ物やさんから入りますが入場券は庫裏にありますので最初は邸内を見てから入るのが良いかもしれません。
 今はできませんが深夜こっそりと羅漢さんの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っているそうです。


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