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埼玉の旅と歴史
埼玉の旅      入間郡毛呂山町

出雲伊波比神社
いずもいわいじんじゃ
埼玉県入間郡毛呂山町(もろやままち)岩井西5丁目17ー1
Tel 049-294-5317


 出雲伊波比神社は古式ゆかしい「流鏑馬(やぶさめ)」で有名な神社です。毛呂山町のほぼ中央、小高い独立丘陵である臥龍山の上に位置しています。
 出雲伊波比神社は景行天皇53年(123)に日本武尊(やまとたけるみこと)が、東国を平定した際に、家臣の武日命(たけひのみこと)に命じて社殿を造営させたのが始まりです。成務天皇の時代に、出雲の神・天穂日命を祀り、出雲伊波比神としたといわています。
 平安時代の延喜式神明帳では武蔵国入間郡五座の筆頭神社にあげられています。源頼義、義家父子は奥州平定を祈願し、凱旋した康平6年(1063)に八幡社を建立しています。流鏑馬を奉納し、鎌倉時代以降、武士の信仰も集め源頼朝が畠山重忠に造営を命じています。
 大永7年(1527)、社殿が焼失し、翌年に領主であった毛呂三河守藤原顕繁によって再建されています。江戸時代には「飛来大明神」あるいは「毛呂明神」などと呼ばれて地域の信仰を集めました。
 江戸時代、3代将軍徳川家光は社殿を修理させ、徳川幕府の庇護も厚かったそうです。中世から江戸期にかけて飛来明神(毛呂明神)と称していたのを明治維新に入ってから古来の出雲伊波比神社に戻しました。
 11月3日の例祭には、町内の家の長男(小・中学生)が乗り子を務める流鏑馬(やぶさめ)神事があり、一の馬・二の馬・三の馬に別れ、白(源氏)・紫(藤原氏)・赤(平氏)に色分けして奉納されます。起源は康平6年(1063)に奥州平定をした源頼義、義家父子が凱旋の際に奉納した事によるといわれています。

出雲伊波比神社本殿(国重文)
 出雲伊波比神社の本殿は一間社流造り、銅板葺きで、室町時代後期の大永8年(1528)に毛呂三河守藤原顕繁によって再建された建物です。埼玉県内では最古の神社建築として、棟札2面と併せて、昭和13年(1938)に国の重要文化財に指定されています。
出雲伊波比神社本殿


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