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栃木の旅と歴史
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足利学校
あしかががっこう
栃木県足利市昌平町2338
Tel 0284-41-2655


 足利学校は日本最古の総合大学です。隆盛期の天文年間には全国から多くの学徒が儒学・医学・兵学などの授業を受けました。創設については、国学の遺制説、また小野篁(おののたかむら)説、、足利義兼説など様々あります。再興したのは鎌倉にいた関東管領(かんれい)の上杉憲実でした。 
 応永26年(1419)管領の職を継いで以来、尚書正義(しょうしょせいぎ)20巻をはじめ、毛詩註疏(もうしちゅうそ)(重文)、礼記(らいき)正義(国宝)、春秋左伝註疏などを寄進しました。鎌倉円覚寺の僧であった快元を初代庠主(しょうしゅ)(校長)に招くなど学校の復興を図りました。
 憲実の子孫の憲房も父祖の志を受けて書籍を学校に寄進するなど、学校のために尽くしました。7代目の庠主・九華(きゅうか)の代になると学校はますます盛況を極め、天文年間(1530-1555)には3000人もの生徒が学んだといわれています。
 宣教師フランシスコ・ザビエルはインドのゴア政庁に「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と報告しています。
 永禄3年(1560)には小田原の北条氏政が金沢文庫の宋版「文選(もんぜん)」(国宝)を寄進しています。
 学校では、儒学を中心に易(えき)学・兵学・医学などが講義されていました。田代三喜・曲阿瀬道三(まなせどうさん)という有名な医師も育ちました。応仁の乱以後、戦国大名が最も必要としたのは卜筮(ぼくぜい)(占いの技術)でした。
 卒業者はその道の権威者として重んじられました。たとえば徳川家康に仕えた第9代の庠主・三要(さんよう)は有名です。家康に気に入られ孔子廟の修理もやってもらったほどでした。
 江戸時代末期には藩校へと移行し、明治5年(1872)廃校になりました。孔子廟と学校門を残し、それ以外の方丈などは取り壊されました。昭和57年(1982)「史跡足利学校跡保存整備事業」に着手し平成2年(1990)12月に復元され江戸中期の姿に蘇りました。

足利学校跡(国史跡)
 足利学校跡(聖廟及び附属建物を含む)は大正10年(1921)に国の史跡に指定されています。明治36年(1903)足利町は、足利学校遺蹟図書館を設立、その後、県立足利図書館へ移管され、平成2年(1990)に建物と庭園が復元されました。平成27年(2015)には「近世日本の教育遺産群 ―学ぶ心・礼節の本源―」のひとつとして日本遺産に認定されました。
足利学校跡

足利学校入徳門(国史跡)
 入徳門は足利学校に入る最初の門です。寛文8年(1668)徳川幕府4代将軍家綱の時に建てられました。天保2年(1831)鑁阿寺(ばんなじ)安養院(あんよういん)の火災により焼失、同11年(1840)頃修築、その後明治の中頃に裏門を移転修築したと伝えられています。扁額「入徳」は紀伊徳川家11代藩主徳川斎順(なりゆき)の書です。
足利学校入徳門

足利学校学校門(国史跡)
 学校門は入徳門と同じ寛文8年(1668)に建てられています。「学校様」という言葉があるくらい足利市民には愛着がある学校のシンボルです。足利学校の象徴的な門となっています。扁額「學校」の文字は明の書家 蒋 竜渓(しょうりゅうけい)が来日した時の書を、当時の江戸国史館助教授の狛高庸(こまたかやす)が縮模したものです。
足利学校学校門

足利学校杏壇門(国史跡)
 杏壇門(きょうだんもん)は入徳門、学校門と同じ寛文8年(1668)に建てられています。明治25年(1892)の火事により類焼、同30年代に再建されたものです。杏壇門をくぐり抜けると、正面に聖廟があります。扁額「杏壇」は紀伊徳川家10代藩主徳川治宝(はるとみ)の書です。
足利学校杏壇門

足利学校聖廟(国史跡)
 聖廟(せいびょう)は孔子様を祀ってあり、孔子廟ともいいます。建物の名称は大成殿で、寛文8年(1668)、足利学校第13世庠主・伝英元教の時に造営されたものです。間口12.7m、奥行10.9m、建坪138.6平方m(42坪)の建物です。清楚簡潔でその様式は明の古廟を模したものと伝えられています。
足利学校聖廟
 聖廟の中には、孔子坐像・小野篁像・四配などが納められています。聖廟の扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王(ありすがわのみやおりひとしんのう)の王子で、のちに京都知恩院門跡となった尊超法親王(そんちょうほっしんのう)の書です。
足利学校聖廟

足利学校方丈
 足利学校の方丈は学生の講義等に使用され、茅葺屋根の建築物としては最大級のものでしたが、明治5年(1872)廃校と同時に取り壊されました。平成2年(1990)12月に復元されたものです。間口17m、奥行11m、寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴です。
足利学校方丈


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