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栃木の旅と歴史
栃木の旅       芳賀郡益子町

地蔵院
じぞういん
栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽945ー1
Tel 0285-72-0813


 地蔵院は真言宗智山派のお寺で、本尊は延命地蔵菩薩です。建久5年(1194)、宇都宮氏の第3代当主宇都宮朝綱(ともつな)が、長男業綱(なりつな)を亡くし、その菩提を弔うため尾羽寺を創建しました。朝綱は平家の中でも、かなり有力な武将で、平家没落後は源頼朝に仕え、根拠地を宇都宮に移しました。
 朝綱は、仏道に入って尾羽入道寂心と名乗り尾羽寺を宇都宮氏の菩提寺としました。宇都宮氏は戦国大名にまでなり、尾羽寺も庇護され繁栄しました。天正12年(1584)、宇都宮国綱に背いた七井城の城主益子勝忠がこの尾羽寺で毒殺されています。しかし慶長2年(1597)に国綱が豊臣家から改易を言い渡され、尾羽寺は衰退します。跡を継いだ宇都宮義綱は水戸藩に仕えました。
 江戸時代の中期頃までは尾羽寺でしたが、文化年間(1804-1818)に火災で地蔵院が火災で焼失と記され、江戸時代の後期には真言宗の地蔵院になっています。地蔵院の本堂は旧国宝で、現在は国指定重要文化財です。境内には推定樹齢が600年といわれる糸桧葉(いとひば)があります。ひのき科ヒノキ属で、樹高5〜6m、サワラの変種です。昭和60年(1985)に益子町の天然記念物に指定されています。
糸桧葉

地蔵院本堂(国重文)
 地蔵院の本堂は、間口5間(12.18m)、奥行4間(9.74m)、一重の入母屋造りで、屋根はとち葺き形の銅板葺きです。室町時代後期の天文11年(1542)に現在地に移築され、文化7年(1810)頃に地蔵院の火災により、本堂となったようです。須弥壇には鎌倉時代の厨子があり、本尊である延命地蔵菩薩像が安置されています。
地蔵院本堂
 地蔵院の本堂は木割の細い構造で洗練された斗拱や簡単な桟唐戸、内部の波形連子欄間、一木造りの斗拱などの手法は室町期の特徴を良く示しています。本堂は大正5年(1916)国の重要文化財に指定されています。
地蔵院本堂

地蔵院観音堂
 地蔵院観音堂は3間4面、寄棟造りで銅板葺きです(以前は茅葺きでした)。間口4.02m、奥行4.02mで高さは5.75mです。簡素な作りで茅負に年代の古さを見ることができます。地蔵院観音堂は益子町の有形文化財に指定されています。
地蔵院観音堂


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