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栃木の旅と歴史
栃木の旅       真岡市

専修寺
せんじゅじ
栃木県真岡市高田1482
Tel 0285-75-0103
(国史跡)


 高田山専修寺は親鸞開創のお寺で、真宗教団連合を構成する浄土真宗10派のうちの一つ,・真宗高田派に属しています。専修寺の創建は嘉禄元年(1225)真岡城主大内氏の懇願により親鸞が信濃善光寺から迎えた秘仏の一光三尊仏を安置し堂宇を建立したのが始まりとされています。
 親鸞の教化活動はそれまでの遊行から専修寺中心になり、建立後約7年間この寺で過ごし、この時期に「教行信証」を書いたそうです。そして北関東の布教の中心として地位を固め、嘉禄2年(1226)には後堀川天皇から「専修阿弥陀寺」という勅願寺の綸旨を受けました。
 親鸞が京都に帰るとき、道場は直弟子真仏上人に譲りました。真仏上人の後は顕智上人が継ぎ、高田教団は初期真宗教団発祥の地として仰がれました。顕智上人の功績は大きく、今日も「念仏高田」いわれ、毎年8月の顕智忌には、宗派を越して数万の人が参詣するそうです。
  寛正6年(1465)に新たに伊勢に専修寺を建立しそちらを本山としました。その時には後柏原天皇より高田専修寺を正統とすべき綸旨を賜っています。さらに正親町天皇から女房奉書を賜り門跡寺院になりました。以後寺運は隆盛し、今日に至っています。
 真宗寺院では親鸞を祀る御影堂と如来堂(阿弥陀堂)を並べて建てますが、専修寺では総門、楼門、如来堂が一列に並び、そこから矩折りに御影堂が配されています。
 昭和42年(1967)国の史跡に指定され、昭和56年(1981)、如来堂・御影堂・楼門・総門の4棟の建造物が重要文化財に指定されました。親鸞縁の寺宝も多数所有しています。境内の奥の林の中には、親鸞聖人のお墓があり、 聖人の遺歯が9粒埋葬されているそうです。

専修寺御影堂(国重文)
 境内のほぼ中央にある専修寺の御影堂(みえいどう)は浄土真宗の開祖である親鸞を祀るお堂です。墨書から江戸時代中期の寛保3年(1743)に建てられています。間口9間23.71m、奥行8間20.07mの大型建築です。単層寄棟造り、銅板葺きで3間の向拝があります。外廻りは派手な装飾を抑えた地味なお堂ですが、中は華麗な装飾が施されています。
専修寺御影堂
 親鸞聖人等身御影 (栃木県指定重要文化財)を正面にし、両脇壇に真仏上人坐像と顕智上人坐像(ともに国指定重要文化財) を安置しています。御影堂の大きさは栃木県下では日光の三仏堂に次ぐ建物です。昭和56年(1981)に国の重要文化財に指定されています。
専修寺御影堂

専修寺如来堂(国重文)
 専修寺の如来堂は一光三尊仏を本尊として安置するお堂です。総門、楼門の軸線上に束面配置されています。江戸時代中期の元禄14年(1701)の建築といわれ、各柱に寄進者の刻名があります。間口5間18.03m、奥行5間10.04mの入母屋造り、一重、銅板葺きです。正面に千鳥破風が付き、1間の向拝がある本堂らしからぬ建築です。
専修寺如来堂
  現在は銅板葺きですが、もとは茅葺きで天保6年(1835)に銅板葺きに改めたと記されています。柱はすべて円柱となっており、その上の木組みは三手先の詰組みという複雑な 構造になっています。中世密教寺院の仕様で昭和56年(1981)に国の重要文化財に指定されています。
専修寺如来堂

専修寺総門(国重文)
 専修寺の総門は江戸時代前期の元和から万治年間(1615-1660)に建てられたと思われます。親鸞聖人によって建立された専修寺の伽藍は嘉禄2年(1226)に整いましたが、その後2回の火災により総門以外のほとんどの建物が失われてしまいました。
専修寺総門
 総門は一間薬医門です。切妻造り、茅葺きです。境内の建物の中で最も素朴な建物で、総門は昭和56年(1981)に国の重要文化財に指定されています。
専修寺総門

専修寺楼門(国重文)
 専修寺の山門でもある楼門は江戸時代中期の元禄年間(1688-1703)の建築といわれています。如来堂の正面に位置しています。入母屋造り、桟瓦葺きの一間一戸の楼門です。楼上には、江戸時代に天台座主であった公猷親王の筆になる「高田山」の扁額が掲げられています。昭和56年(1981)、国の重要文化財に指定されています。
専修寺楼門


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