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栃木の旅と歴史
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大慈寺
だいじじ
栃木県栃木市岩舟町小野寺2247



 小野寺山大慈寺は天台宗の準別格本山です。天平9年(737)に行基が開基し、二祖は道忠、三祖は広智とされています。広智の時代、大慈寺で修行していた円仁(慈覚大師、後の第三代天台座主)、安慧(後の第四代天台座主)などを最澄(伝教大師)の弟子にさせています。
 弘仁8年(817)、最澄が弟子たちとともに東国を巡錫した際、大慈寺で大乗戒の授与を行い、東国の天台宗の足場としました。そして法華経による国家鎮護のため、最澄が日本国内の6箇所に建立を計画した六所宝塔の1つをここに建てました。

 
  

 
 

大慈寺相輪とう
 相輪(そうりん)とうは最澄が建立した六所宝塔に起源をもちますが、現在のものは享保10年(1725)に再建されたものです。弘仁年間の最澄の銘文が刻まれています。栃木県の有形文化財に指定されています。
大慈寺相輪とう

大慈寺薬師堂
 大慈寺薬師堂は日本七仏薬師と呼ばれ、行基が彫ったとされる薬師如来像12神将が祀られ、大般若などが納められています。小野小町もこのお堂に参拝したといわれています。
大慈寺薬師堂

大慈寺慈覚大師堂
 慈覚大師円仁は9才から6年間大慈寺で修行しました。慈覚大師堂は弘化2年(1845)の大火で焼失しています。日光山輪王寺門跡の御免勧化により、下野と上野の2か国を行脚勧化して嘉永6年(1853)に再建されました。平成4年(1992)に栃木市の有形文化財に指定されています。
慈覚大師堂

ライシャワー大使記念樹
 円仁研究家としても名高いライシャワー元駐日大使が、昭和39年(1964)に大慈寺を訪れました。それを記念する碑と植樹したメタセコイアが残されています。
ライシャワー記念樹

小野小町石碑
 六歌仙の一人、小野小町の石碑が大慈寺境内に建てられています。病気平癒の祈願を本尊薬師如来にし、快復したことにより終生この地に住んだといわれています。近くには小町の墓もあります。
小野小町石碑


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