あなたは 番目の訪問者です。(ogino作成共通カウント)

直線上に配置
東京の旅と歴史
東京の旅      文京区本郷

東京大学
とうきょうだいがく
東京都文京区本郷7−3−1
Tel 03-3812-2111


 赤門をくぐると東京大学の敷地です。明治10年(1877)に創設された国立大学で旧東京帝国大学です。全国の大学のトップに立つ学問の殿堂で、現在10学部、約1万5000人の学生が学んでいます。
 本郷キャンパスにはイチョウ並木、国指定重要文化財の朱塗りの赤門、夏目漱石の小説「三四郎池」に由来する三四郎池など歴史ある名所があります。正門、法文1号館、法文2号館、法学部3号館、工学部列品館、工学部1号館、安田講堂なども登録有形文化財に登録されています。
 多くの歴史ある建物は内田祥三の設計による建築です。共通する特徴をもったゴシック様式の建物であるため「内田ゴシック」と呼ばれています。明治以降の日本における教育史を象徴する数多くの建物が関東大震災や東京大空襲などによる被害から免れ、残存しているのです。

東京大学赤門(旧加賀屋敷御守殿門)(国重文)
 東京大学にシンボルといえば赤門です。表門の黒門に対して赤門と呼ばれました。昔ここは加賀藩前田家上屋敷でした。屋根の上の棟瓦には葵の紋、軒の丸瓦には前田家の家紋梅鉢があります。文政11年(1828)11代将軍家斉の娘溶姫が前田家13代斉泰に嫁入りしました。その際の迎え入れのための門でした。
東京大学赤門
 江戸時代において、三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の子女、あるいはその居住する奥御殿を御守殿(ごしゅでん)あるいは御住居(おすまい)と称し、その御殿の門を丹塗(にぬ)りにしたところから俗に赤門と呼ばれました。
東京大学赤門
 赤門は切妻造り、本瓦葺きの三間薬医門です。左右に各4.1mの腰縦羽目板張り、本瓦葺きの繋塀があり、離番所が付いています。番所は左右とも間口3間、奥行2間、一重、本瓦葺きで、前後に唐破風が付けられています。文政10年(1827)頃の建立とみられ、昭和6年(1931)に国の重要文化財に指定されています。
東京大学赤門

東京大学正門
 東京大学の正門はキャンパスの西にあり、本郷通りに面しています。向かって右(南)に国指定重要文化財の赤門、左に西片門があります。正門は横にある門衛所も合わせ、国の登録有形文化財に登録されています。設計は伊東忠太で、大正元年(1912)に完成しています。
東京大学正門

龍岡門
 龍岡門(たつおかもん)はキャンパスの南にある門です。門周辺の旧地名「龍岡町」(現・湯島四丁目)から名付けられています。設計は内田祥三で、昭和8年(1933)に完成しています。北東近くに「鉄門」がありますが、龍岡門の通称が鉄門であると思っている人も多いそうです。
龍岡門

東大病院
 東大病院は略称で、正式には東京大学医学部附属病院(とうきょうだいがくいがくぶふぞくびょういん)です。ここには37の診療科、20以上の診療部があります。千人以上の入院患者、1日3千5百人もの外来患者の診察と、新しい治療法や診断法の開発が行われています。
東大病院

医学部1号館・医学部2号館(本館)
 医学部1号館は内田祥三が設計し、昭和6年(1931)に完成しています。医学部2号館(本館)は同じく内田祥三が設計し、昭和11年(1936)に完成しています。 ここには医学部の事務室があります。隣接地に平成14年(2002)に完成した地上14階建ての医学部教育研究棟と一体利用されています。
医学部2号館(本館)

総合図書館
 総合図書館は前の明治25年(1892)建立の煉瓦造りの図書館が関東大震災で焼失したため、震災後の昭和3年(1928)にロックフェラー財団の寄付によって建設されました。第二次世界大戦後、大規模な増築が行われましたが、増築部にも内田ゴシックのデザイン様式が踏襲されています。
総合図書館

本部棟
 本部棟は龍岡門の近くにある地上12階建ての建物です。丹下健三が設計し昭和54年(1979)に完成しています。この隣りには同じく丹下健三が設計した第二本部棟が昭和51年(1976)に建てられています。最初は理学部5号館として使われました。
本部棟

安田講堂
 安田講堂は正式には東京大学大講堂です。安田財閥の創始者・安田善次郎の匿名による寄付により建設されました。安田氏の死後、寄付の事が公になり、安田講堂と呼ばれるようになりました。内田祥三が基本設計を行い、弟子の岸田日出刀が担当し、大正14年(1925)に完成しました。
安田講堂
 安田講堂は東京都の登録有形文化財第1号で登録されています。昭和43年(1968)の東大安田講堂事件で全国に放送され、注目されました。東大紛争で全学共闘会議によって占拠され、その後機動隊により強制排除されました。長い間、荒廃状態になりましたが富士銀行(旧安田財閥系)などからの寄付で昭和63年(1988)〜平成6年(1994)に改修されました。
安田講堂

広報センター
 広報センターは龍岡門わきにあります。岸田日出刀が設計し、昭和元年(1926)に完成した建物です。旧医学部附属病院夜間診療所、旧医師会事務局に使用され、平成7年(1995)に広報センターとなりました。平成15年(2003)に東京都選定歴史的建造物に指定されています。
広報センター

法文1号館
 法文1号館は以前は経済学部も使用していたため、法文経1号館と呼ばれていました。内田祥三が設計し昭和10年(1935)に完成しています。2階にある法25番教室は講演会などがよく行われる大教室で、入学試験の時によく放映されています。また東大ポポロ事件の現場としても知られています。国の登録有形文化財に登録されています。
法文1号館

法文2号館
 法文2号館も経済学部も使用していた時は法文経2号館と呼ばれていました。内田祥三が設計し昭和13年(1938)に完成しています。国の登録有形文化財に登録されています。文学部の事務室が法文2号館内にあり、地下には、食堂や東大生協第一購買部などが入っています。
法文2号館

アーケード
 法文1号館と法文2号館は安田講堂を突き当たりとする道を挟んで左右対称に設計されています。通りに直角に両建物を横切って古風なアーケードが設けられています。列柱には古代ギリシャ風の彫刻が刻まれ、内田ゴシックの真髄を伝えています。
アーケード

工学部1、2、4、6号館
 工学部1号館は昭和10年(1935)に完成し、登録有形文化財です。工学部2号館は大正13年(1924)の建物で、旧館は内田祥三が東大構内で初めて設計した建物です。工学部4号館は昭和2年(1927)に完成。工学部6号館は昭和15年(1940)に完成しています。設計はいずれも内田祥三です。
工学部6号館

三四郎池
 三四郎池は正式には心字池といいます。夏目漱石の名作「三四郎」が、ここが舞台となっていたため「三四郎池」と呼ばれるようになったそうです。元和元年(1615)の大坂夏の陣の後、加賀藩前田家は幕府から現在の東京大学周辺の地を賜りました。育徳園という庭園が作庭され、心字池が作られたのです。
三四郎池


 東京都トップページへ 旅と歴史トップページへ


直線上に配置