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東京の旅と歴史
東京の旅          新宿区内藤町

新宿御苑
しんじゅくぎょえん
東京都新宿区内藤町11
Tel 03-3350-0151


 新宿御苑は面積58万1000平方mという広大な国営公園です。ここは江戸時代、信州高遠藩の内藤家の下屋敷があったところです。御苑には国の重要文化財に指定されている旧洋館御休所などの文化財もあります。
 天正18年(1590)、豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康は江戸城に入城しました。その際、譜代の家臣であった内藤清成にこの地を与えました。東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及んだそうです。
 内藤氏7代の清枚は元禄4年(1691)に3万3千石の信州高遠城主となりました。ここの内藤家の屋敷地は石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年(1872)にはまだ10万坪以上が残されていたそうです。
 明治5年(1872)、政府は内藤家から上納された土地と買収した隣接地を合わせた58.3ヘクタールの敷地に、我が国の近代農業振興を目的とする「内藤新宿試験場」を設置しました。ここでは欧米の技術や品種を含めた果樹・野菜の栽培、養蚕、牧畜などの研究が幅広く行われました。
 その後、明治12年(1879)には皇室の御料地、宮内省所管の農園の「新宿植物御苑」となりました。御苑が現在のような庭園に改築されたのは、明治34年(1901)からだそうです。日露戦争の戦勝祝いに使われ、それ以来、皇室の庭園として、春秋の観桜会、観菊会などに使われたそうです。
 昭和24年(1949)、わが国唯一の国営の有料公園として一般に開放されました。広大な苑内には、西側に日本庭園があります。明治39年(1906)にはフランスのベルサイユ園芸学校教授のアンリ・マルチーネの設計した洋式庭園が造園されました。


新宿御苑旧洋館御休所
 新宿御苑の中にある旧洋館御休所は天皇や皇族の休憩所として明治29年(1896)に建てられた洋風木造建築です。480.1平方mの大きさがあり、木造平屋建て、スレート葺き及び鉄板葺きで、宮内省内匠寮が設計したそうです。
旧洋館御休所
 この建物は、温室を訪れる皇族の御休所として建設され、 明治・大正期の皇室関係の庭園休憩施設として唯一の遺構となっています。1860年代から1890年代にかけてアメリカで流行したスティック・スタイルを基調とした、 現在では数少ない洋風木造建築物です。
旧洋館御休所
 大正年間には新宿御苑の西洋庭園が9ホールのゴルフコースとしても利用されたそうです。この御休所も模様替えされてクラブハウスになったそうです。
旧洋館御休所
 昭和20年(1945)5月の空襲で新宿御苑は壊滅的打撃をうけましたが、この旧洋館御休所は無事でした。戦後、新宿御苑管理事務所として平成6年(1994)まで利用され、 その後保存改修工事が行われました。旧洋館御休所は平成13年(2001)に国の重要文化財に指定されています。
旧洋館御休所


新宿御苑旧御涼亭(台湾閣)
 新宿御苑旧御涼亭(台湾閣)は皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念として昭和2年(1927)に建てられました。昭和20年(1945)5月の空襲で新宿御苑は壊滅的打撃をうけましたが、この旧御凉亭と旧洋館御休所だけが被害を免れました。
旧御涼亭(台湾閣)
 木造平屋建て、本瓦葺きで、台湾在住邦人の有志が寄付をつどり、元台湾総督府の建築家であった森山松之助が設計、横溝豊吉らが施工し贈られたそうです。
旧御涼亭(台湾閣)
 清朝中期以降の台湾で用いられた建築様式(中国南方のピン南建築様式)の建物で、東京都選定歴史的建造物に指定されています。
旧御涼亭(台湾閣)
 御休息所には平面形状に卍形のモチーフが見られ、柱には台湾杉が使われ、天井の鏡板に台湾篇泊や台湾絵などがあるという日本では数少ない本格的中国の建築技法で建てられています。
旧御涼亭(台湾閣)


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