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東京の旅と歴史
東京の旅          新宿区

早稲田大学
わせだだいがく
東京都新宿区戸塚町1−104


 早稲田大学は、東京専門学校を前身とする私立大学で、明治35年(1902)に早稲田大学と改称しました。明治15年(1882)、大隈重信が盟友の小野梓と立憲改進党を立ち上げ、この年に「学門の独立」の精神を基として東京専門学校を開設したのでした。

 校内のある大隈講堂は、正式には「21号館 大隈記念講堂」とも呼ばれています。早稲田大学を象徴する講堂で、平成19年(2007)、国の重要文化財に指定されました。大正11年(1922)、創立者の大隈重信が亡くなり記念講堂の建設が発案されました。
大隈講堂
 昭和2年(1927)、鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上3階、地下1階の大隈講堂が完成しました。1123席の大講堂と301席の小講堂があり、シンボルの時計塔は、大隈重信が唱えた人生125歳説にちなんで125尺(38m)となっています。設計者は佐藤功一、佐藤武夫、構造設計者は内藤多仲です。建築面積は1225.95平方mで戸田組(現・戸田建設)が施行しました。
大隈講堂
 インドのネール首相、フィリピンのアキノ大統領、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮者、ビル・クリントン米大統領、金泳三韓国大統領、江沢民、胡錦濤中国国家主席などがこの講堂で講演しています。
大隈講堂

 現在早稲田キャンパス中央にある大隈重信銅像は昭和7年(1932)、創立50周年に際し、大隈と親交のあった朝倉文夫氏が造ったものです。昭和62年(1987)、この大隈重信像は新宿区の指定有形文化財(彫刻)となっています。
大隈重信像
 大隈重信は天保9年(1838)に肥前国佐賀藩の藩士(砲術師範)の子として生まれました。海外の思想・文化・教育に精通し、語学堪能であったため、明治政府で外国事務局判事、参議兼大蔵卿の要職を歴任、外務大臣の後、第8代総理大臣になりました。第17代総理大臣にもなり大正5年(1916)の辞任の時の年齢は78歳と6ヶ月でした。この最高齢記録は今だ破られていないそうです。
大隈重信像


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