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沖縄の旅と歴史
沖縄の旅       国頭郡恩納村

琉球村
りゅうきゅうむら
沖縄県国頭郡恩納村山田1130
Tel 098-965-1234


 琉球村は古きよき沖縄、琉球の文化・伝統を今に伝える体感型テーマパークです。琉球の時代、沖縄は、世界各国との貿易を盛んに行い、開かれた国家として、また、高い水準の文化を誇っていました。
 昔ながらの赤瓦屋根、サーターヤー(製糖小屋)など、のどかな風景が広がっています。築約200年の民家など、沖縄各地の古い建物を移築して、古きよき沖縄を再現しています。

 屋根には家の守り神シーサーが乗っていました。これらの民家の中で、紅型、藍染め、陶芸などの教室が開かれていて、実際に体験もできるのです。
 ここでは日本唯一の水牛車による手作りの製糖工場を見ることもできます。水牛が砂糖車(サーターグルマ)を引いてサトウキビを絞り、その汁を炊いて黒砂糖を作るという昔ながらの製糖方法を復元しています。
 旧仲宗根家住宅です。この家は、約180年前に読谷村座喜味に建てられた典型的な沖縄の民家でした。80年前(1904)に読谷村儀間に移築され、昭和59年(1984)7月に琉球村に移築されました。
 旧島袋家住宅です。ほぼ完全な原型をとどめている豪農の家屋です。ここには穀物を貯蔵するための高倉があります。沖縄の倉には高倉と、波照間島に見られる高床倉、地倉の3種があり、高倉は床を高く上げ通風を良くし、湿気を防ぐようにしています。
 サーターアンダギーというドーナツのような砂糖天ぷらの揚げお菓子を作って売っています。全国に発送もしてくれます。
 琉球絣、芭蕉布(ばしょうふ)、ミンサー織、久米島紬、首里(しゅり)織、読谷山花織(ユンタンザハナウイ)、宮古上布、八重山上布など、沖縄では各地域によって趣の異なる多種多様な織物が織られています。
 琉球王朝時代に盛んに行われた交易によって、さまざまな国から織物や技法が持ち込まれ各地へ広まり、その土地の風土や文化によって独自の技法や図柄へと変化したようです。
 多幸山ハブセンターの入口です。ハブとマングースの決闘を3D立体映像で見ることができます。昔は実際にやっていたのですが動物愛護の上から今は映像のみです。
 ハブは夜行性な ので、とてもまぶしがりやで、太陽の光を極端に嫌うようです。鼻の穴と目の間にあるピット器官は、熱を感じる働きをし、わずかな温度も察知し攻撃できるのです。大勢の沖縄の人々を苦しめました。
 明治時代、ハブの毒を消す血清がなく、かまれると死亡するケースが多く、ハブの被害は深刻でした。マングースはハブにかまれても死ぬことはなく、最後はハブの頭に食いついて、見事にしとめるのです。
 昔行なわれたハブとマングースの決闘ショーです。勝負はマングースの圧勝でした。ハブ退治用に沖縄本島に放たれたのですが他の動物や鳥などしか食べないためいまや社会問題になっています。
 琉球村では沖縄の雰囲気を味わうことができる沖縄の踊り「エイサー」を毎日やっています。一番右側の酒瓶やクバの葉の扇をもった変わった人はチョンダラーと呼ばれエイサーの名脇役です。
 エイサーとは沖縄各地の旧盆に行なわれる盆踊りの総称だそうです。「エイサー、エイサー」という念仏歌の声がその名のおこりだということです。祖霊の供養を目的とした青年による躍動的な踊りです。
 沖縄の方言でかきまぜることをカチャースンというそうです。カチャーシーという踊りは、同じ意味合いで喜びの感情をかきまわそうと、あたかも体で言い表すかのように、早弾きのサンシン(三線)が聞こえ出すと、手をこねり、床を踏み鳴らし、打ち興じます。


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