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愛媛の旅と歴史
愛媛の旅        今治市

今治城
いまばりじょう
愛媛県今治市通町3ー1ー4
Tel 0898-31-9233


 今治城は慶長7年(1602)藤堂高虎によって築城開始され、慶長9年(1604)に完成しました。高虎は近江膳所城の縄張や伏見城の修築におわれ、今治城の縄張は渡辺勘兵衛を普請奉行として行ったといわれています。
 高虎は浅井長政、羽紫秀長、秀長の嗣子秀俊に仕えました。その後高野山で出家しました。秀吉に拾われて伊予宇和郡7万石を与えられました。
 関ヶ原の合戦で福島正則と徳川の先陣として活躍し、伊予の半国20万3千石の大名として国府城に入城しました。発展性に乏しい山城の国府城を捨て、軍事的に重要で、海陸の交通に便利な、越智平野中央の今張に城を築いたのです。そして今治と改名しました。
  慶長13年(1608)高虎は伊賀一国と伊勢8郡の20万石の大名になり、今治は飛地として2万石を領しました。慶長15年(1610)丹波亀山城に城を築くため今治城の天守閣を解体して移築したのです。
 ですから今治に天守閣があったのは、わずか4年だけで以後築かれる事もありませんでした。
 今治2万石には城代として藤堂高吉が27年間治めましたが、寛永12年(1635)、家康の甥の松平定房が3万石で入城し、松平家の居城として明治まで続きました。
 吹揚城とも呼ばれた今治城は城をめぐる堀に直接海水を引き入れるといった、珍しい素朴な実践型の造りです。
 中津城、高松城と並び日本3大水城に数えられています。5層6階の天守閣は歴史資料館になっています。
 現在の今治城天守閣は、昭和55年(1980)、今治市制施行60周年記念事業として鉄筋コンクリートで再建されたものです。同年に武具櫓、昭和60年(1985)に御金櫓を、そして平成2年(1990)には山里櫓を再建しています。


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