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愛媛の旅と歴史
愛媛の旅       今治市大三島町

大山祇神社
おおやまずみじんじゃ
愛媛県今治市大三島町宮浦3327
Tel 0897-82-0032


 大山祇神社は地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから古代より日本総鎮守と尊称され続けています。伊予の国の一宮でもあります。
 朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤いものがあり源氏・北条氏・足利氏など歴代の武家の尊崇も集めました。地元の越智氏・河野氏・村上水軍にも崇敬され戦勝祈願や御礼などから多くの奉納品を所蔵しています。
 本殿には神宝の「鏡」と「矛」が秘蔵され、境内中央には乎千命(おちのみこと)が手植えしたと伝えられる樹齢2600年の神木である大楠が繁り、本殿や拝殿、神門などが今なお重厚な姿を見せています。
 祭神は日本建国の大神の大山積大神(和多志神)を祀っています。神武天皇の東征のみぎりに、祭神の末裔でもある乎千命(おちのみこと)が芸予諸島の要衝御島(この大三島)を神地と定め鎮祭したといわれています。
 この他にも伊豆国の三嶋大社から分霊を招いたとする説や朝鮮半島から渡来した神であるとする説、摂津国の三島江からこの地に移されたとする説などもあるようです。
社務所
 かなり古い時代から存在した神社であることは間違いなく、平安時代には朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜されているのです。
北廻廊十七神社
 大山積大神は天照大神の兄神です。和多志大神(伊豫国風土記)とも呼ばれ山の神々の親神に当る山の支配者でした。天孫瓊々杵命(ににぎのみこと)の皇妃となられた木花開耶姫(吾田津姫)の父神にあたります。
大山祇神社手水舎
 瓊々杵命(ににぎのみこと)と木花開耶姫の間に生まれたのが彦火火出見命(ひほほでみのみこと)です。兄(海幸彦)の釣り針を探しに海宮(龍宮)に行った山幸彦なのです。
大山祇神社祓殿
 そこで海神のむすめ豊玉姫命と深い契りを結びました。身重の豊玉姫命は「天孫の御子を海原の龍宮で生むことは出来ない」と鵜戸の地に出て霊窟に急いで産殿を造り屋根の鵜の羽の茅も葺き合わぬうちに御子を生んだのでした。
大山祇神社神門
 そのため「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」とつけたそうです。今日では通称「ウガヤフキアエズノミコト」(鵜葦草葦不合命)といわれています。
大山祇神社神門
 鵜葦草葦不合命と玉依姫の間に生まれたのが、神武天皇になるのです。つまり、木花之開耶姫は、神武天皇の祖々母にあたるわけです。
大山祇神社拝殿
 大山祇神社の祭主であった大祝安用の娘に鶴姫がいました。「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」と呼ばれています。
大山祇神社拝殿
 室町時代に末期、周防の大内氏の軍勢から大三島を守る戦で18才の生涯を閉じたといわれています。
大山祇神社拝殿
 大山祇神社宝物館には鶴姫が着用した紺絲裾素懸威胴丸が奉納されています。我が国唯一の女性用鎧だそうです。
大山祇神社南門
 この宝物館には、日本に現存する刀剣・甲冑の約8割があり、ほとんどが国宝・重要文化財に指定されているという驚くべきところなのです。日本最古の大鎧や源頼朝・義経の奉納品、弁慶の長刀などもあります。
大山祇神社拝殿
 国宝の「禽獣葡萄鏡」は斉明天皇の奉納と伝えられている中国鏡です。667年の朝鮮半島の白村江の戦いで日本軍と中国の唐軍が激突した歴史を物語るものです。
大山祇神社拝殿
 元寇の際、河野通有の率いる三島水軍が大活躍したそうです。それを物語る元寇軍の兵士の兜と胡弓などもあります。
大山祇神社拝殿
 大山祇神社は 中世は四社詣、五社詣の中心となっていたそうです。平安時代にはすでに市が立ち、それは現在まで続いています。
八重垣神社
 分社は、全国に1万社以上あるそうです。延喜式名神大社に列せられ、伊予国一の宮でした。明治以降は国幣大社に列せられ四国で唯一の大社として尊崇されています。
大山祇神社酒殿
 御桟敷殿(おさじきでん)です。この建物は旧暦の5月5日の御田植祭と旧暦の9月9日の抜穂祭の時にお神輿の渡御を申し上げ神田斎場祭を奉仕する御殿です。これらの日には無形文化財の一人相撲が奉納されるそうです。
大山祇神社御桟敷殿

大山神社楠木群
  大山祇神社のクスノキ郡は、日本最古の原始林社叢のクスノキ郡として、昭和26年(1951)に国の天然記念物に指定されました。指定樹38本の他大小約200本の楠木が群生しています。

雨乞の楠
 天然記念物の能因法師雨乞の楠です。日本最古のクスノキで樹齢は3000年といわれています。900年前の後冷泉天皇の時に伊予の国守藤原範国(のりくに)は能因法師を祈雨の使者として参拝させたそうです。
 「天の川 苗代水にせきくだせ
  天降ります 神ならば神」
と詠み幣帛に書き付けて祈願したところ、伊予の国中にに三日三晩雨が降ったと金葉和歌集に記されています。

乎知命御手植の楠
 境内中央には乎千命(おちのみこと)御手植の大クスノキがあります。根周20m、高さ15.6m、樹齢約2600年といわれています。
 御島(大三島)に祖神である大山積大神を祀った乎千命が植えたとされています。古来より御神木として崇められています。

河野通有兜掛の楠
 弘安4年(1281)、蒙古襲来の際、河野通有が参拝祈願して出陣したそうです。その出陣の時にかぶとを掛けたクスノキです。三島水軍を率いて筑前に向かい勝利を得たそうです。

伊藤博文記念楠樹
 わが国の初代首相の伊藤博文は明治42年!1909)3月22日この大山祇神社へ参拝しました。社号標の揮毫と楠樹の記念植樹をされたそうです。

宝篋印塔
 重要文化財に指定されている鎌倉時代の宝篋印塔です。時宗の開祖一遍上人は河野通広の子です。松山宝厳寺で生れ、三島水軍河野通信の孫にあたります。一遍上人絵伝によると大三島宮の参拝の折奉納したものだそうです。



大山祇神社宝物館
おおやまずみじんじゃほうもつかん
 大山祇神社の宝物館は紫陽殿、大三島海事博物館(葉山丸記念館)、国宝館の3館あります。数々の武将たちが戦勝祈願と戦勝のお礼に奉納した甲冑や刀剣類などが有り、その数は数万点に及びます。
 紫陽殿、国宝館には鎧、兜、刀剣類などが展示され国宝8点、国重要文化財469点、県重要文化財14点と、日本現存の刀剣・甲冑の約8割がここに集結しているのです。
 大三島海事博物館(葉山丸記念館)です。昭和天皇の海洋生物研究のための御採取船「葉山丸」を永久保存するために建設され昭和43年(1968)に開館しています。


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