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愛媛の旅と歴史
愛媛の旅        松山市

旧萬翠荘(久松定謨邸)
きゅうばんすいそう
愛媛県松山市一番町3ー3ー7
Tel 089-921-3711


 萬翠荘は、大正11年(1922)、旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が別邸として建てました。定謨は松山藩最後の藩主久松定昭の嗣子です。
 久松伯爵はフランス士官学校に留学、陸軍駐在武官としてフランス生活をおくり、陸軍中将で旅団長まで務めた人物でした。フランス通で知られ、この建物も純フランス風の洋館となりました。
 設計は、欧米外遊から帰ってきたばかりの建築家、木子七郎が担当しました。この地方では最初の本格的な鉄筋コンクリート構造の建物です。木子は愛媛県庁本館、元の県立図書館等も設計しています。
 建物は、予定を繰り上げて大正11年(1922)11月に竣工し、陸軍大演習の後に来松された皇太子(後の昭和天皇)の宿泊所に充てられました。
 この建物は戦後、米軍将校宿舎となりました。家庭裁判所、県立郷土芸術館となったあと、昭和54年(1979)に美術館分館となって現在に至っています。昭和60年(1985)に愛媛県の有形文化財に指定されています。
 邸内にある井戸です。松山城築城当時に掘られたといわれ、今でも枯れることなく湧き出ています。夏目漱石も毎日この水を飲んだそうです。


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