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高知の旅と歴史
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長宗我部元親 墓石
ちょうそかべもとちかぼせき
高知県高知市長浜天甫山


 長宗我部元親の墓は長浜天甫寺山の南斜面の森の中にあります。元親は天文8年(1539)、岡豊(おこう)城で国親の長男として誕生しました。永禄3年(1560)の本山氏との「戸ノ本の戦い(現高知市長浜)」が元親の初陣となりました。
 永禄6年(1563)、本山氏を朝倉城から追い、安芸氏、津野氏、一条氏を次々と破り安芸郡東部を平定して土佐を制覇しました。天正13年(1585)には四国を平定しました。豊臣秀吉の四国征討で敗れたものの、土佐一国を安堵されました。
 以後、忠実な秀吉傘下の大名となり羽柴姓まで許されました。秀吉の九州征伐の際に戸次川合戦で長男信親を亡くし失望のあまり精神を病んだといわれています。
 慶長4年(1599)年4月初旬、元親は病気療養のため盛親を伴って上洛し、京都伏見の邸に入りました。豊臣秀頼に謁見した後、5月19日、61歳の生涯を終えました。遺言により天龍寺で火葬し、遺骨は土佐へ送られ、天甫寺山に葬られました。


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