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信州上田の旅と歴史
旧上田市内散策      上田市

大輪寺
だいりんじ
長野県上田市中央北1−5−7
Tel 0268-22-0575


 天照山大輪寺は曹洞宗のお寺です。創建ははっきりしませんが、昔は真田方面にある戸石城のふもとの畑山にあったといわれています。
 真田昌幸が上田築城の時、夫人の寒松院(法号)の発願により、上田城の鬼門にあたる現在地に再建されました。生前の寒松院は山手殿とか京の御前と呼ばれ、昌幸の3回忌に自害したと伝えられています。大輪寺には寒松院の墓があります。
 真田家が松代に移封されたあとは一時衰退したようです。仙石上田藩3代藩主・仙石政明が貞享元年(1684)、仙石忠政(法光院殿天庵宗智大禅定門神儀)の位牌を収めた事で位牌所となり、毎年籾を10俵支給され再興したそうです。


大輪寺中門
 老杉の間に200年前に造営されたという大輪寺の中門があります。「天照山」という山号額は松代藩8代の真田幸貫藩主が書いたものだそうです。
大輪寺中門

大輪寺山門
 大輪寺の立派な山門は上田では最大です。入母屋造り、桟瓦葺きの、一間一戸の楼門形式です。楼門上には十六羅漢が安置されているそうです。松代に移封された真田家が善光寺修理の際に一緒に材料調達し、建てたものといわれています。
大輪寺山門
 山門を中心に手前には左右に大きな池があり、山門の左右は回廊がめぐらされています。上田城の支城としての機能も有し、いざという時には城郭として守れる造りになっているのです。

大輪寺本堂
 大輪寺の本堂は宝永2年(1705)に再建された大きな堂宇です。間口9間、入母屋造り、桟瓦葺きで、山門と同様に真田家が善光寺を修復した際の木材を使って建てられたといわれています。大棟には真田家の六文銭が飾られています。
大輪寺本堂

寒松院の墓
 大輪寺の東側の高台に寒松院の墓が建てられています。真田昌幸の夫人で、長男信之(のぶゆき)、次男の幸村こと信繁(のぶしけ)の生母になります。信濃守護小笠原家家臣・宇多頼忠の娘とか、武田家家臣・遠山右馬助の娘とか、公卿の今出川春季の養女とか、公家の正親町氏の関係する娘とか、諸説あります。
寒松院の墓
 永禄7年(1564)頃、武田信玄の養女となり、武藤喜兵衛(後の真田昌幸)に嫁ぎました。その後、長男信幸(後の信之)と共に武田家に送られ、天正10年(1582)の頃は甲斐の新府城、関ヶ原の戦い直前には大阪城に人質と送られました。慶長18年(1613)に死去、戒名は「寒松院殿宝月妙鑑大姉」です。
寒松院の墓


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