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信州上田の旅と歴史
上田・冨士山の旅       上田市

西光寺
さいこうじ
長野県上田市富士山(ふじやま)3036
Tel 0268-38-3059


 松本山西光寺は真言宗智山派のお寺です。真言宗の開祖である空海(弘法大師)が大日如来と阿弥陀如来の仏像を彫って、小堂を建てたのが始まりといわれています。塩田城主となった北条国時が崇高な光が、この2体の仏像を祀った小祠から出ている事を突きとめました。
 そして、正応4年(1291)に北条氏が開基となり、足利市の足利鶏足(けいそく)寺の実勝和尚を招き、開山したそうです。そして小祠の大日如来を移し西光寺の本尊にしました。武田信玄の庇護を受け繁栄しました。その後、江戸時代の延宝6年(1678)、西光寺は前山寺の末寺となりました。
 享保元年(1716)に本堂が再建され、宝暦6年(1756)には山門である鐘楼門が建てられています。弘化3年(1846)、本堂と庫裡などが火災のため焼失してしまいました。阿弥陀堂と山門は幸い難を逃れたそうです。
 寺宝の紙本墨書武田信玄朱印状が残されています。元亀元年(1570)、西光寺が武田信玄に鎖張(仏具)を進上したことに対し、信玄の家臣・三枝勘解由左衛門尉が西光寺に信玄からの褒美を与えた事が記されています。この朱印状は昭和55年(1980)に上田市の指定文化財になっています。


西光寺山門
 西光寺の山門は銅板葺きの、入母屋造り、三間一戸の四脚鐘楼門で、高欄が付けられています。宝暦6年(1756)に再建された建物です。
西光寺山門

西光寺仁王門
 西光寺の仁王門は銅板葺きの、入母屋造り、三間一戸の八脚単層門です。宝暦6年(1756)に再建された建物です。内部に安置されている金剛力士像は鎌倉時代のもので、長野県を代表する金剛力士像です。平成13年(2001)に上田市の有形文化財に指定されています。
西光寺仁王門
 仁王門に向かって右側に大きく「あ」と口を開けた阿形と、左に「うん」と口を結んだ吽形が配置されています。2体とも檜の寄木造りで、像の高さは232cmもあり堂々としています。力強く動きのある造形は鎌倉時代の特徴をよく表わしています。
金剛力士阿形像
 この金剛力士像は須坂の米子の不動寺にあったもので、宝暦年間(1751-1764)にここに移されたといわれています。「米子のお不動さん」の信仰は菅平のある大笹街道を越えて上田に広く広まっていたようです。
金剛力士吽形像

西光寺阿弥陀堂
 西光寺の阿弥陀堂はこけら葺きで、木造平屋建て、寄棟造り、妻入の建物です。室町時代後期に建てられた御堂建築で、内陣は3間四面、前面の1間を外陣としています。組物など細部に禅宗様を採り入れています。
西光寺阿弥陀堂
 室町時代後期の阿弥陀堂建築の遺構として重要で、昭和56年(1981)に長野県の県宝に指定されています。弘化3年(1846)の火災で本堂や庫裡が焼失しましたが、阿弥陀堂と山門は被害を免れています。その後、阿弥陀堂は、改造されてしまいましたが、平成元年(1989)の修理工事で当初の形式に戻されました。
西光寺阿弥陀堂



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