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信州上田の旅と歴史
上田の旅          上田市

活文禅師ゆかりの
岩門大日堂跡
いわかどだいにちどうあと
長野県上田市古里1353


 岩門大日堂跡は活文禅師遺跡3号として昭和44年(1969)に上田市の史跡に指定されています。龍洞院の住職を辞した活文禅師は文政7年(1824)岩門大日堂に隠居して寺子屋を開き多くの門人を輩出させました。文政12年(1829)常田毘沙門堂に移ったあとも寺子屋を続け弘化2年(1845)、71才で亡くなりました。

象山駒つなぎの松
 文政11年(1828)18才の若武者・佐久間象山がこの岩門の大日堂に来て活文禅師に入門しました。象山は松代藩士で松代からここまで30km(約8里)の道を馬に乗ってきたそうです。馬をつないでいた松の木は象山駒つなぎの松といわれ、今は二代目だそうです。
象山駒つなぎの松
 象山は幕末の思想家で兵学者としても活躍しました。嘉永6年(1853)ペリ−来航に際しては軍議役として横浜警備に当たり、老中阿部正弘に「急務十事」を上申して横浜開国を主張しました。門人の吉田松蔭の海外密航未遂事件に連座し投獄、9年間松代に蟄居、最期は攘夷派志士によって京都、三条木屋町で暗殺されてしまいました。



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