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青森の旅と歴史
青森の旅    弘前市

弘前城
ひろさきじょう
青森県弘前市大字下白銀町1
Tel 0172-33-8733


 津軽統一を成し遂げた津軽為信が慶長8年(1603)に弘前城建築を計画しました。その後2代目の信枚が慶長15年(1610)から1年で築いた居城です。
 天守閣は、もともと華麗な5層の天守で本丸西南隅にありました。これが築城から16年後の寛永4年(1627)に落雷により焼失してしまいました。
 その当時の法律の「一国一城令」では5層の天守閣を禁じていたため、元のように再建はできず隅櫓を改築して今の3層の天守にしたのだそうです。
 津軽は南部氏の領地でした。元亀2年(1571)南部氏の被官だった大浦為信が南部家津軽郡代の南部高信を攻め落し、大浦城を本拠として18年かけて津軽地方を制圧したのです。姓も津軽姓に変えました。
 天正18年(1590)小田原征伐の際、津軽為信はいち早く秀吉の陣中を訪れ、津軽支配の朱印状を受け、文禄3年(1594)本拠を大浦城から堀越城に移しました。
 慶長5年(1600)関ケ原の合戦では徳川家康の東軍に属して戦功をあげ、家康から津軽4万5千石を安堵され、さらに2千石加増されました。
 為信は川に囲まれた天然の要地・高岡に本拠を移すため居城建設に着手しましたが慶長12年(1607)没しました。
 後を継いだ為信の三男津軽信牧(のぶひら)が慶長15年(1610)から本格的な築城を開始し翌年この弘前城を完成させました。 
 現在城跡には、天守閣をはじめ隅櫓三棟、城門五棟の建造物が残されていて、いずれも重要文化財に指定されています。


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