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青森の旅と歴史
青森の旅    弘前市

岩木山神社
いわきやまじんじゃ
青森県弘前市大字百沢字寺沢27
Tel 0172-83-2135


 岩木山神社は岩木山の南東麓にある神社で「お岩木さま」「お山」などと呼ばれ、津軽国一宮です。鎌倉時代の密教道場の構造をもつ社殿には、桃山時代の精巧な彫刻が施され、「奥の日光」ともいわれています。
 現存する社殿や楼門は江戸時代初期から元禄時代にかけ、代々の津軽藩主の厚い信仰をうけ、造営、寄進されたものです。本殿、拝殿、奥門、楼門、中門が国の重要文化財に指定されています。
 岩木山神社は宝亀11年(780)に岩木山頂に祠が建てられたという古社です。平安時代になり山麓の地に社殿が建立されました。延暦19年(800)、坂上田村麻呂が東夷東征の念願成就すると社殿を再建、十腰内に里宮にあたる下居宮を建立したそうです。
 その後、十腰内から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺(ひゃくたくじ)と名乗ったのが現在の岩木山神社となっています。天正17年(1589)の岩木山噴火により岩木山神社(百沢寺)の多くの社殿や社宝、記録などが焼失してしまいました。
 楼門は、2代藩主津軽信枚の時、寛永5年(1628)下居宮の別当寺であった百沢寺の楼門として建てられたものです。5間3戸の形式、総高は17.85mという壮大なもので、弘前市の長勝寺三門と造営時期、手法が酷似しています。
岩木山神社楼門
 百沢寺の山門の時は、十一面観音や五百羅漢像など仏像を安置していましたが、現在の楼門は岩木山神社の随神門として随神像が安置されています。
岩木山神社楼門
 拝殿もまた、百沢寺の本堂として造営されました。その起工はさらに古く、慶長8年(1602)、津軽藩祖為信によって始まり、寛永17年(1640)、3代藩主津軽信義の時に完成しています。
岩木山神社拝殿
 拝殿は壮大な五間堂で、入母屋造り、とち葺型銅板葺の屋根の正面に干鳥破風が付いています。1間の向拝が付いていて、内部は密教系寺院本堂の構成が残されています。
岩木山神社拝殿
 4代藩主津軽信政の時、元禄7年(1694)に岩木山神社として造営された本殿が造営されました。三間社流造り、正面千鳥破風、軒唐破風付、銅瓦葺きです。
岩木山神社本殿
 本殿は全面黒漆塗りで、随所に金箔押しを施しています。彫刻類はすべて極彩色を用いていて、飾金具を多く使っています。正面庇柱(ひさしばしら)には昇り龍降り龍を取り付けるなど正面の景観を重視した、豪華絢爛な建物です。
岩木山神社本殿
 中門は本殿とともに4代藩主津軽信政の時、貞享3年(1686)から元禄7年(1694)までの間に建立されました。美しい四脚門で、切妻造り、とち葺形銅板葺きです。
岩木山神社中門


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