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福島の旅と歴史
福島の旅    耶麻郡猪苗代町

野口英世記念館
のぐちひでよきねんかん
福島県耶麻郡(やまぐん)猪苗代町三ツ和前田81
Tel 0242-65-2319


  野口英世記念館は世界的にも名が知られている医学者、野口英世の生涯を紹介している記念館です。数々の資料があり、輝かしい功績や研究の記録に彼の努力の跡がうかがえます。また、少年時代に左手に火傷を負った囲炉裏など、生家が明治時代そのままの姿で保存されています。
 左手に火傷を負ってしまった幼い清作(野口英世の幼名)は、農業で自活出来ませんでした。そのため学問で身を立てようと勉学に励みました。高等小学校の時、清作は仲間の援助を受け、現在の会津若松市にある会陽医院という病院で左手の手術を受けました。その時、医学の素晴らしさを知り、卒業後、その病院に弟子入りしたのです。
 19歳の時、医師免許を取りに行くために上京しました。その別れ際に、「志しを得ざれば、再び此地を踏まず」という有名な言葉を残しました。そして見事、わずか20歳という若さで医師免許を取得したのです。
 その後、当時医学会で世界的に有名であった北里柴三郎を所長とする伝染病研究所の助手となりました。野口英世は、研究所内で、来日中に同所を訪れたシモン・フレキスナー博士と知りあいました。横浜の海港検疫所に派遣された時、ペスト患者を発見、隔離するなどして、世界の野口英世への足掛かりを作っていきました。
 アメリカではロックフェラー研究所で梅毒のスピロヘータの研究に成功しました。そしてドイツを始めヨーロパ各地へ講演をしました。
火傷した囲炉裏
 海外で大成功を収めた野口英世は日本に一時、帰国しました。その後、黄熱病の研究のため、エクアドルに出張しました。野口英世は黄熱病のさらなる研究のために、さらに南米各地を回りました。
 ペルー、ブラジル、メキシコでも野口英世は黄熱病の研究を行いました。そしてアフリカのアクラへ出張しました。ところがそこで黄熱病にかかってしまい51歳の偉大な生涯を閉じてしまったのです。


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