あなたは 番目の訪問者です。(ogino作成共通カウント)
直線上に配置
山形の旅と歴史
岩手県の旅      北上市

みちのく民俗村
岩手県立花14地割59
Tel 0197-64-1756


 みちのく民俗村は展勝地山手の7万平方mの丘陵と谷に、北上川流域の古い民家や歴史的建造物を復元公開しています。江戸時代に建てられた南部曲り屋や明治中期の民家など古建築20棟以上建てられています。
 民俗村導入ゾーン、南部伊達領境ゾーン、北上川流域古民家ゾーン、縄文時代と古代遺跡ゾーンの4ゾーンで構成され、別ゾーンに北上市立博物館と北上埋蔵文化財センターを併設しています。

 旧菅野家住宅は伊達藩の典型的平入り直家(すごや)造りの農家です。主屋は享保13年(1728)、藥医門は享保5年(1720)に建てられています。北上市口内町長洞の通称中村屋敷と呼ばれた菅野助治から寄贈され移築したものです。
旧菅野家住宅
 表11間、奥行6間で半分が土間で占められています。障子の作りは古風で、土間の表柱、大壁、内柱などに肝入(きもいり)以上の家宅の風格があります。主屋と表門が国の重要文化財に指定されています。
旧菅野家住宅

 旧岩手県立黒沢尻高等女学校校舎は洋風建築の流れをくむモダンな建物です。昭和2年(1927)に現在の北上市鍛冶町に建てられた校舎です。
県立黒沢尻高等女学校校舎
  新校舎建設に伴い解体されることになりました。同窓会の働きかけにより昭和53年(1917)みちのく民俗村内に移築・復元され、民俗資料館として活用されています。
県立黒沢尻高等女学校校舎

 旧菅原家住宅は明治時代後期の建築で、湯田・沢内地方の一般的な構造と間取りをもつ中規模農家建築です。
旧菅原家住宅
 豪雪に耐えるように柱の多い頑丈な造りになっています。梁で軒を支える「せがい造り」で軒先が高くなっています。
旧菅原家住宅

 旧星川家住宅は江戸時代後期の建物です。紫波郡(しわぐん)矢巾町北伝法寺にあった南部曲り家です。星川家の場合、主屋に対し、馬屋が遅れて取り付けられています。
旧星川家住宅
 曲り家はL字型になっています。人が住む母屋と馬小屋がつながっている住居で、馬はかけがえのない人間の友であり、同じ屋根の下で暮らしていました。
旧星川家住宅

 旧北川家住宅は江戸時代中期の初期の曲り家で、遠野市土淵町大字栃内字火石に建てられていました。多くの民話が語り継がれた家で、オシラサマを祀る家としても知られていました。
旧北川家住宅
 北川家は明治43年に発表された「遠野物語」で「土淵村の助役北川清と云う人は字火石に在り」と紹介されています。
旧北川家住宅

 ませ小屋は北上市立花字橘内にあったもので、明治9年(1876)に作られたものです。麦、アワ、稲、豆などを外回りの桟にかけて乾燥させ、中で脱穀する農作業小屋です。
ませ小屋

 長屋門風演舞場です。昔ながらの芝居など興業が行われたりします。
長屋門風演舞場

 がん小屋は葬式にかかわる諸道具を納めておく小屋です。土葬が一般的であった時代には、各集落に1戸は建てられて共同利用されていたそうです。北上市二子町上川端に建てられていたものです。
がん小屋

 旧菅原家住宅は東磐井郡(ひがしいわいぐん)川崎村薄衣字賽の神に建てられていました。江戸時代中期の農家で、主屋は59.4坪、長屋門は15.4坪です。
長屋門・旧菅原家住宅
 菅原家は旧姓を三浦といい、江戸時代は嵯峨峯屋敷と呼ばれた伊達藩の農家でした。屋敷から砂金が取れたとこから、敷地内に金烏神社を祀っていて、参拝者も多かったそうです。
長屋門・旧菅原家住宅

 旧今野家住宅はみちのく民俗村の受付になっています。梁川(江刺市)にあった建物で、江戸時代末期から明治初期の商家です。
旧今野家住宅

 旧佐々木家住宅は東磐井郡大東町渋民字続石にあった葉たばこ栽培農家です。江戸時代中期の建築で、主屋は37坪、馬屋は8.16坪です。
旧佐々木家住宅
 伊達藩のたばこ栽培はローマ特使の支倉常長が種子を持ち帰ったのが始まりとされています。大東たばこは御料たばことして毎年藩主に献上されていたそうです。
旧佐々木家住宅

 旧小野家住宅は岩手郡西根町谷地中にあった67.14坪の県北の直屋民家です。建てられたのは明治34年(1901)です。
旧小野家住宅
 内部は広い常居(座敷に次いで上等の部屋)、台所、土間、馬屋がほぼ一列に並んでいます。そのため細長い家になっています。
旧小野家住宅


岩手県トップページへ 旅と歴史トップページへ


直線上に配置