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秋田の旅と歴史
山形の旅       天童市

天童城跡(舞鶴山公園)
てんどうじょうせき(まなづるやまこうえん)
山形県天童市天童城山


 舞鶴山に城を築いたのは、南北町時代の頃、南朝方の北畠親房の後裔である北畠天童丸です。吉野朝興隆のため、村山盆地を一望できる好立地のこの地に居を構えたのが始まりです。この一帯は市民の憩いの公園となっていて春には2千本のソメイヨシノが咲き乱れます。
 領主は代々、天童氏を名乗り、山形最上氏と肩を並べる奥州の名門として、その威容を誇りました。十代頼久の時代に、義兄の山形城主最上義光に攻められ、壮絶な戦いの末、天正12年(1584)落城し、頼久は伊達家の家臣国分氏に逃れました。ここに初代頼直から数え、209年間の長きにわたる天童山城時代は終わり、以後この地に再び城が築かれることはありませんでした。

 将棋駒全国一を誇る天童市のシンボルとして公園内に建てられました。王将の文字は大山15世名人の書によるものだそうです。毎年春にここで将棋駒の供養祭が行われるそうです。
将棋塔
 供養祭の時には人間将棋が繰り広げられるそうです。太閤秀吉が桜花爛漫の伏見城で関白秀次を相手に、小姓と腰元を将棋駒に仕立てて楽しんだ故事にならったものだそうです。
人間将棋盤
 宝暦8年(1758年)8月、天童の俳人菱華亭池青が、おくのほそ道行脚70年を記念して、念仏寺境内に「古池や蛙飛びこむ水の音」の句碑を建立し翁塚としました。
念仏寺跡の翁塚


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