直線上に配置
信州上田の旅と歴史
上田の旅         千曲川

千曲川
ちくまがわ


 千曲川は、長野県川上村、埼玉県秩父市、山梨県山梨市の3県の境にある甲武信(こぶし)岳にその源を発し、佐久、上田の2つの盆地を経て長野盆地で犀川(さいがわ)と合流します。県境で信濃川と名前が変わり新潟県に入り、日本海に至ります。
 全長367kmのうち、信濃川と呼ばれている部分が153kmで、千曲川と呼ばれている部分は214kmと、60kmほど千曲川の方が長くなっています。日本で一番長い川となっています。
 千曲川の由来は川が千の数ほど曲がっているのでつけられたといわれています。また狭窄部が連続し、両岸は崖状の地形を呈していることから、「チク(崖)・マ(袋状の湿地)の川」という説もあります。
 また水源に近い長野県の川上村の伝説によれば、大昔に高天原に住む神々の間で大きな戦いがあり、この時に流された血潮によってできた川だとされています。その血潮があたり一面隈なく流れた様子から「血隈川」となったというものです。
 島崎藤村は千曲川を愛し、大正元年(1912)に千曲川のスケッチという作品を刊行しています。千曲川沿岸の小諸の自然と人間生活とを観察した内容です。
 千曲川は太古より人々の暮らしとともにあり、生活を支えてきました。その恩恵は計り知れませんが、水量が豊かな川ゆえに洪水がもたらす被害も甚大なものでした。日本紀略などには仁和4年(888)の洪水が記され、寛保2年(1742)の史上最大の大洪水では2800人もの犠牲者を出しています。
 令和元年(2019)の台風19号による大雨では、堤防決壊で家屋流出、浸水、道路決壊陥没などで長野県だけで死者5名、2500億円近くの甚大な被害を出しています。丸窓電車で有名になった上田ー別所線の上田電鉄の鉄橋も崩壊しました。



信州上田トップページへ戻ります

信州長野トップページへ 旅と歴史トップページへ


直線上に配置