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信州上田の旅と歴史
上田・塩田の旅       上田市(塩田)

別所温泉
べっしょおんせん
別所温泉観光協会
長野県上田市別所温泉1853−3
Tel 0268-38-3510
 上田市の西南に広がる塩田平にある別所温泉は、「信州の鎌倉」と呼ばれ、鎌倉・室町時代の寺社仏閣があり、国宝・重要文化財の古刹巡りなどが楽しめます。上田駅から電車で30分で終点の別所温泉駅に着きます。 温泉地としては我が国で3番目の歴史を持ち、北向観音の出現と共に温泉が湧出したとされています。古くは「七苦離<ななくり>温泉」と呼ばれていて仏教文化と共に栄えた温泉地です。

 別所温泉は、日本武尊の東征のおり発見されたと伝えられ、清少納言の「枕草子」にも記されている信州最古の温泉といわれています。「別所」の名は平維茂が信濃の国守となった折、この地に別荘(別墅)を持ったのでつけられたとか諸説あるようです。
 別所のお湯は温度54度単純硫黄泉で無色透明です。胃腸病、リウマチ、神経痛、外傷などに効果があるといわれています。肌がなめらかになることから美人の湯とも呼ばれています。

別所温泉駅
長野県上田市別所温泉字分去1853−3

 「丸窓電車」とは、昭和2年(1927)に日本車輌会社で製造され、昭和3年から昭和61年(1986)までのなんと58年もの長い間、別所線の主力電車として塩田平を走った「モハ5250形」車輌の愛称です。
 その独特の丸い窓から「丸窓電車」と呼ばれ、人々に愛されました。別所温泉駅に保存されています。


七苦離地蔵堂
 別所温泉は「ななくりの里」といわれ、七つの苦しみから離れることのできる楽土とされてきたそうです。常楽寺伝来の六道能化のお地蔵さんを奉安しています。


大湯
おおゆ
長野県上田市別所温泉西大湯215
Tel 0268-38-5750
 吉川英治の「新・平家物語」の中で木曾義仲が愛妾である葵御前としばしば入浴したところです。葵御前にちなみ「葵の湯」とも呼ばれている共同浴場です。三層になった屋根は威厳と風格があり、大湯の特徴となっています。


石湯
いしゆ
長野県上田市別所温泉1641−1
Tel 0268-38-0243
 真田幸村の隠し湯だったという石湯です。池波正太郎の「真田太平記」にも登場します。幸村と女忍者お江が入浴する場面です。唐破風造りの立派な建物と趣ある岩に囲まれた岩風呂が人気です。
石湯の入口にある石碑は池波正太郎直筆です。石造りの湯船、壁から天井には檜が使われ贅沢な気分が味わえます。無色透明の湯はかけ流しになっており、玉子臭のするちょっと熱めのお湯です。


平維茂の将軍塚
別所温泉駅から、温泉街に向かう道左手には、平維茂の塚と伝えられている石造多層塔があります。

平惟茂紅葉狩り伝説
 平安時代、京の都に紅葉(もみじ)という美貌と才気のある女性がいました。源経基の目にとまり側室としてその寵愛を受けるようになりました。やがて経基の御台の具合が悪くなり「紅葉の呪いの祈祷」のせいだと噂になったことから、経基は紅葉を信州に追放しました。
 水無瀬に住み着いた紅葉は村人たちとしばらくの間、平穏な生活をしていました。しかし、その後、乱心して盗賊の頭となり、悪事を働きました。また鬼女として怖れられるようになってしまいました。
 鬼女紅葉の悪行は京にも伝えられ天朝に達しました。信濃守平惟茂に鬼女討伐の命が下されました。初戦、維茂軍は鬼の形相の紅葉の妖術にかかり敗退しました。その後、別所温泉の北向き観音に必勝祈願し、そこで授かった「降魔の剣」で紅葉を攻め、激しい戦いの末、紅葉を征伐しました。
 これ以来、水無瀬は「鬼の無い里」となったので「鬼無里」といわれるようになったそうです。 戸隠から凱旋した維茂は、紅葉との戦いに傷ついて、稲荷山(現在更埴市)の八幡宮で亡くなったとか、別所温泉で湯治をしたが、癒らずに亡くなったとかいわれています。


別所森林公園
上田市別所温泉1179
 キャンプ場、テニスコート、バンガロー、フィールドアスレチックなどのレクリエーション施設があります。マツタケ資料館やクリ園での地域の林産物について学習したり、いこいの家で、その料理を味わうことができます。

 マツタケ資料館は、マツタケに関する資料館としては、全国にさきがけて建設されたことから注目を浴びました。地元の産物である有名なマツタケのアピールに大いに貢献しています。




信濃デッサン館(無期限休館)
しなのでっさんかん
上田市東前山300
 信濃デッサン館はデッサンを中心とした小さな美術館で、塩田平を見下ろす、前山寺の山門の隣に昭和54年(1979)、窪島誠一郎氏によって開かれました。村山槐多や関根正二、野田英夫といった、才能を持ちながら若くしてこの世を去っていった画家たちの作品を所蔵していました。
 しかし平成30年(2018)3月15日をもって無期限休館となってしまいました。平成31年(2019)、長野県に所蔵作品のうち33点を売却し、3月26日には長野県に357点を寄贈しました。これらの作品は令和3年(2021)にオープン予定の長野県信濃美術館(長野市)で展示されるようです。 また信濃デッサン館の分館であった無言館は続けられるようです。


無 言 館
むごんかん
上田市古安曽山王山3462
 太平洋戦争で戦没した東京美術学校(現東京芸大)の学生19人が残した油絵や水彩画などを中心に展示しています。信濃デッサン館と同じ窪島誠一郎氏が中心となり、上田市古安曽に平成9年(1997)に建設されました。
 「時の庫」は「無言館」に収蔵される戦没画学生の遺作、遺品を末永く保全し、修復していくための施設です。傷ついた画布、焼け焦げたスケッチ帖一つ一つの生命をもう一度よみがえらせるように努力していく施設なのです。





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